世界の怪物・妖精

スレンダーマンとは|ネット発の現代怪異

更新: 霧島 玲奈
世界の怪物・妖精

スレンダーマンとは|ネット発の現代怪異

スレンダーマンは、2009年6月に米国の掲示板Something Awfulで生まれた、作者と誕生日が特定できる稀有な現代怪異である。2日後にVictor Surge(Eric Knudsen)が子どもの白黒写真へ黒スーツの長身痩躯の人物を合成した投稿が起点となり、

スレンダーマンは、2009年6月に米国の掲示板Something Awfulで生まれた、作者と誕生日が特定できる稀有な現代怪異である。
2日後にVictor Surge(Eric Knudsen)が子どもの白黒写真へ黒スーツの長身痩躯の人物を合成した投稿が起点となり、伝統的な妖怪や幽霊とは異なる「創作から始まった怪異」として広まった。
しかも、その姿は身長約2.1〜2.7メートルの痩せた人型、顔のない黒いスーツ姿といった基本像から、後の利用者たちが少しずつ触手やオペレーター・シンボルを足していった集合創作でもあります。
創作だと分かっていても、2014年のウィスコンシン州ウォキショー刺傷事件のように現実へ影響が及んだ事例があり、なぜ語り継がれ、行動にまでつながるのかを冷静に追っていきましょう。

スレンダーマンとは何か:3行でわかる正体

項目 内容
名称 スレンダーマン
成立時期 2009年6月
初出 米国の掲示板Something Awful
創作の起点 2009年6月10日、Victor Surge(Eric Knudsen)が子どもたちの白黒写真2枚に長身痩躯の人物を合成して投稿
分類 クリーピーパスタ(ネット発の怪談)
外見 顔がなく、黒いスーツを着た高身長の人型

スレンダーマンは、2009年6月に米国の掲示板Something Awfulで生まれたクリーピーパスタであり、作者と誕生日がはっきりしている点で伝統的な妖怪や幽霊と出発点が異なります。
夜にホラーゲーム配信や海外のまとめ動画で初めて見た人が「昔からいる怪物だ」と思い込みやすいのも自然ですが、実際には十数年前に作られた現代の創作です。
まず何者かをはっきりさせるなら、顔のない黒スーツの高身長人型、その一点で十分でしょう。

一言でいえば『作者と誕生日がわかる怪異』

スレンダーマンは、誰がいつ作ったかを追える珍しい怪異です。
2009年6月8日にSomething Awfulで「超常的な画像をPhotoshopで作る」というお題のスレッドが立ち、2日後の6月10日にVictor Surge名義の利用者、Eric Knudsenが写真合成と目撃証言風テキストを添えて投稿したところから輪郭が定まりました。
河童や天狗のように、長い時間をかけて伝承の中で自然発生した存在ではありません。

この出自が重要なのは、スレンダーマンが「古い伝承の残存物」ではなく、最初からネット空間で設計された現代怪異だとわかるからです。
作者と投稿日が見える怪異は、読者の恐怖の受け止め方まで変えます。
正体不明だから怖いのではなく、正体が見えているのに拡散していく、その逆説がこの存在の核でしょう。

クリーピーパスタ(ネット怪談)というジャンル

スレンダーマンはクリーピーパスタの代表格です。
クリーピーパスタとは、文章や画像をコピーしてネット上で広める怪談のことで、元の投稿が改変されながら増殖していく媒体でした。
掲示板という場は、ひとつの画像や短い設定を起点に、別の利用者が補足し、また別の利用者が続きを足すという連鎖を生みやすいのです。

その結果、スレンダーマンは最初の投稿だけで閉じない怪異になりました。
顔がなく、黒いスーツを着た異様に高く痩せた人型という骨格だけが共有され、細部は後から厚みを増していきます。
身長は約7〜9フィート、およそ2.1〜2.7メートルとされますが、ここでも固定された正典はありません。
媒体の拡散力そのものが、怪異の形を作ったわけです。

伝統的な妖怪・幽霊との決定的な違い

伝統的な妖怪や幽霊は、誰か一人の創作として始まるとは限りません。
語り継がれるうちに姿が変わり、土地ごとの言い回しや怖れ方が積み重なっていくのが普通です。
スレンダーマンはそこが逆で、誰が・いつ作ったかが特定できるのに、集合的な語りの中で「本物らしさ」を得ていきました。

この違いは、単なる成立年代の差では終わりません。
2014年5月のウィスコンシン州ウォキショーの刺傷事件のように、創作が現実の行動と結びつく局面まで生んだためです。
作り物として始まり、ネットで増殖し、現実の不安と接続する。
この流れこそがスレンダーマンの核心であり、記事全体で追うべき問いになります。

誕生の経緯:2009年のPhotoshopコンテスト

2009年のスレンダーマン誕生は、伝承が先にあったのではなく、掲示板上の創作課題から始まった点に特徴があります。
Something Awful フォーラムで2009年6月8日に立てられたのは、「超常的に見える画像をPhotoshopで作る」という趣旨のスレッドでした。
怪異が古い民間信仰の流れではなく、最初から画像加工という遊びの場で生まれたことが、この時点で見えてきます。

『超常的な画像を作る』というお題のスレッド

スレッド開始日は2009年6月8日で、ここが起点です。
何世代も語り継がれてきた妖怪譚とは違い、スレンダーマンは最初から日付のついたインターネット上の企画に結びついていました。
だからこそ、誕生の場面を時系列で追い直せるのです。
ネット怪異の面白さは、曖昧な遠い昔ではなく、画面越しに「いつ始まったか」まで確かめられるところにあります。

このスレッドは、参加者がそれぞれ超常写真めいた画像を作って見せ合う、いわば即興の共同制作でした。
元から完成された怪物像を受け継ぐのではなく、画像そのものの不気味さを競う土壌があったわけです。
後から振り返ると、スレンダーマンの輪郭がここで準備されたのは偶然ではないでしょう。

Victor Surge による最初の2枚の合成写真

その2日後の2009年6月10日、Victor Surge という別名の利用者が、子どもたちが写った白黒写真2枚に、黒スーツの長身痩躯の人物を加工合成して投稿しました。
Victor Surge の本名は Eric Knudsen です。
ここで初めて、のちにスレンダーマンと呼ばれる存在が、視覚的な姿を持って現れました。

しかも、その姿は派手な怪物ではありません。
黒スーツ、細長い体、顔の情報を削いだような無表情さ。
子どもたちの写真に紛れ込ませることで、日常の場面が急に居心地の悪いものへ変わります。
読者が驚くのは造形の奇抜さよりも、ありふれた写真の中に「いてはいけないもの」が立っている、その違和感でしょう。
今も最初の2枚の写真がアーカイブで確認できる点も、この怪異を特別にしています。
起源が検証できるのです。

目撃証言風テキストが『怪異化』した瞬間

決定的だったのは、画像だけで終わらなかったことです。
Victor Surge は、失踪や拉致を仄めかす目撃証言風の断片テキストを添えました。
写真はそれだけでも不気味ですが、証言の形を取った言葉が乗った瞬間、ただの加工画像は「実際に見たかもしれない何か」へと読み替えられます。
ここでスレンダーマンは、作品から怪異へ変わったのではなく、作品としての怪異が完成したのです。

この経緯が示すのは、スレンダーマンが偶然湧いた伝承ではないという事実です。
画像とテキストを組み合わせて意図的にデザインされたからこそ、起源を2009年6月10日まで絞り込めます。
伝統妖怪のように「いつから語られたか」がぼやけないのが、この現代怪異の異例なところです。
創作物として始まりながら、のちに本物めいて流通した。
その出発点を押さえておくと、後の拡散のしかたも理解しやすくなるでしょう。

姿と特徴:顔のない黒スーツの巨人

スレンダーマンの姿は、最初からひとつに固定されていたわけではありません。
もっとも広く知られるのは、高身長で痩躯、顔のない黒スーツの巨人という基本形で、身長は約2.1〜2.7メートル、つまり7〜9フィートほどとされます。
青白い肌とのっぺりした無貌が印象の中心にあり、そこに見る者自身の想像が入り込むことで恐怖が成立するのです。

高身長・無貌・黒スーツという基本形

高身長・痩躯・無貌・黒スーツという組み合わせは、スレンダーマンをひと目で識別させる核です。
顔にあたる部分が平坦で、表情も目鼻立ちもないからこそ、どんな感情を抱いているのかが読めません。
ここに不安が生まれます。
怪物の怖さは「見える」ことだけでなく、「見えないものを補ってしまう」人間の側の反応に支えられている、という構造がよく出ています。

その外見は、単なる異形ではなく、都市伝説としての記号性も持っています。
黒いスーツは人の姿を思わせるのに、顔がないために人間からは外れている。
このずれが強い違和感を生み、ゲームや動画の中でも一瞬で異物だと伝わるわけです。
オペレーター・シンボルと結びつくのも、この「不在の顔」を補助線にしているからでしょう。

触手のような腕という後付け設定

腕が触手のように異常に長く伸び、背中から触手状の付属物が出る描写は、最初の投稿にはありませんでした。
後から多くの利用者が加えた設定で、ここに集合創作らしさがはっきり表れます。
読者が複数のゲームや動画を見比べたとき、「作品ごとに少しずつ違う」と感じるのは自然なことです。
むしろその揺れこそが、ひとつの正典で固定されていない証拠になります。

この後付けの蓄積は、怖さの増幅装置にもなりました。
手足が伸びるたびに捕獲や侵食のイメージが強まり、背中の付属物が増えるたびに生理的な不快感が加わるからです。
ただし、どれが初出でどれが後続の加工かを分けて見ると、スレンダーマンが「誰か一人の創作物」ではなく、共有された恐怖の編集物だとわかります。

オペレーター・シンボル(円に×)の意味

オペレーター・シンボルは、円の中に×を描いた印で、もともとWeb連作『Marble Hornets』で生まれました。
×は「顔がない」ことを表すとされ、スレンダーマンの無貌と視覚的に呼応しています。
作中でこの印を見かけて「何の印だろう」と検索した読者は少なくないはずですが、その由来をたどると、単なる飾りではなく、怪異の不在と欠損を示す符号として設計されていることがわかります。

この印が後にスレンダーマンと結びついた経緯も重要です。
最初から単独で完成した象徴ではなく、別作品の記号が再利用され、ネット上で意味を拡張されていった結果なのです。
だからこそ、オペレーター・シンボルはスレンダーマンの正体を一義的に示すというより、集団的な怖がり方を可視化する印として読んだほうが自然です。

見えてくるのは、誰か一人が細部を決めた怪物ではないという事実でしょう。
高身長・無貌・黒スーツ、長く伸びる腕、円に×の印は、それぞれが異なる場所で積み重なった公約数です。
だから媒体ごとに姿や能力が少しずつ違い、設定にカノンがないまま増殖していく。
この不安定さ自体が、スレンダーマンの特徴なのです。

ネットでどう広まったか:集合創作という現象

Marble Hornets は、スレンダーマンがネット上で「物語として見える形」に組み替えられた転換点でした。
原画からわずか10日後の2009年6月20日に初投稿が始まり、学生映画の謎を追う連作動画という体裁が、単なる画像ネタだった存在に連続する筋を与えたのです。
ここで生まれたのは、怖い一枚絵ではなく、追跡できる因果と未解決の空白を持つ語りでした。

Web連作 Marble Hornets による物語化

Marble Hornets 内では、スレンダーマンは The Operator という別名で登場します。
原作と少しずつ異なる名前や振る舞いに置き換えられたことで、元ネタをそのまま固定するのではなく、作品ごとに再解釈していく余地が開かれました。
固定された正典が最初からあるのではなく、呼び名と設定が揺れながら増殖していく。
そこに、集合創作の入口がありました。

この段階で重要なのは、視聴者が「怖い映像を消費する側」にとどまらなかったことです。
連作の断片をつなぎ直し、The Operator の意味を推測し、別の説明を与えることで、物語は受け手の手に渡っていきます。
Marble Hornets は、スレンダーマンを単発の怪異から、解釈が連鎖するネット時代の怪談へ押し上げた装置だったと言えるでしょう。

掲示板から4chan・Redditへの越境

スレンダーマンの広がりは、最初に生まれた掲示板の内側で完結しませんでした。
4chan、Reddit、creepypasta系サイトへと場所を移すたびに、利用者は新しい物語や追加写真、偽の歴史的記録まで書き足していきます。
海外掲示板の過去ログやまとめを辿ると、同じ姿なのに由来も能力も少しずつ違う断片が無数に残っていて、誰か一人の創作では到底ないことが見えてきます。

ここでの拡散は、単純なシェアではありません。
受け取った人が次の語り手になり、さらに別の人が細部を補う。
そうした往復運動の中で、怪異は「見るもの」から「加筆されるもの」へ変わりました。
読者が「これは誰の公式設定なのか」と探しても答えが定まらないのは、まさにそのためです。
正典不在は欠陥ではなく、ネット上で生まれた怪談の構造そのものなのです。

誰のものでもない『みんなの怪異』へ

スレンダーマンが面白いのは、単なる人気キャラクターではなく、共同編集される怪異として育った点にあります。
各人が少しずつ違う写真を足し、別の逸話を足し、都市伝説らしい歴史の影まで足していくうちに、もとの輪郭は保たれたまま厚みだけが増していきました。
短期間で世界観が濃くなったのは、同じ設定を守ったからではなく、ゆるい共通項だけを残して改変を許したからです。

この現象は、拡散の意味を見直させます。
情報が遠くへ届くことより、届いた先で誰かが少し書き換えることのほうが、怪談を強くする場合があるからです。
スレンダーマンは、誰か一人の作品というより、無数の利用者が手を入れ続けた「みんなの怪異」になりました。
おすすめです。
こうした集合創作の痕跡を追ってみると、ネットで怪異がどう育つのかが見えてきます。

ゲーム・映像化と文化的影響

Slender: The Eight Pages は、スレンダーマンが「ネットで語られる怪異」から「遊ばれる怪異」へ変わる転機になった作品です。
2012年6月に公開されたこのゲームは、暗い森で8枚の紙を集めながら追跡者から逃げるだけという単純な構造なのに、同年8月までに200万ダウンロードを超えました。
複雑な物語を足さなくても、視界の悪さと追跡の圧迫感だけで恐怖を成立させられることを示した点が決定的で、実況プレイ文化との相性の良さも知名度拡大を後押ししました。
ゲーム実況で絶叫しながらプレイする映像を見てスレンダーマンを知った世代にとっては、これが入口だったはずです。

ホラーゲーム Slender: The Eight Pages の衝撃

『Slender: The Eight Pages』の強みは、恐怖の構造を極端に絞り込んだことにあります。
森を歩き、8枚の紙を集め、背後から迫る気配に追われるだけという設計は、ルールが一瞬で伝わるぶん、プレイ中の緊張がそのまま観客にも伝染しました。
ホラーゲームはしばしば設定を盛り込みすぎて恐怖の焦点がぼけますが、この作品はむしろ情報量を削ることで、スレンダーマンの「説明しきれなさ」をそのまま体験に変えたのです。
ネット怪異がゲームとして爆発的に広がった象徴例とされるのは、ここに理由があります。

さらに見逃せないのは、実況プレイが拡散装置として働いたことです。
操作する側の恐怖と、見る側の笑いと絶叫が同時に成立するため、個人のプレイ体験がそのまま共有コンテンツになりました。
ネット発の怪異がネット発のメディアで増幅される循環は、ここでかなり明確になったと言えるでしょう。
静かな読書や画像閲覧よりも、リアルタイムの反応が付く実況のほうが、スレンダーマンの不気味さを記憶に残しやすかったのです。

ドキュメンタリーと2018年の映画化

映像化は、スレンダーマンが単なる流行で終わらなかったことを示します。
HBOのドキュメンタリー『Beware the Slenderman』(2016年)は、後述の刺傷事件を扱い、ネット怪異が現実の事件報道と結びついて語られる局面を可視化しました。
2018年にはソニー配給の映画『Slender Man』も公開され、製作費約1,000万ドルに対して世界興行は約5,290万ドルに達しています。
商業的には成立したわけで、キャラクターの認知が映画館のスクリーンにまで届いた事実は重いです。

ただし評価はまったく別でした。
2018年映画のRotten Tomatoes支持率は約8%(71レビュー)にとどまり、話題性と作品評価が一致しないことをはっきり示しました。
観客が「有名になったあの怪異を見に行ったのに、期待したほど怖くなかった」と感じたなら、その落差は自然です。
動画や短い投稿では効く曖昧な恐怖も、2時間の映画では持続させにくい。
ネット怪異は拡散の速さでは強くても、物語映画の型にそのまま収まりにくいのです。

ネット怪異がマス文化に与えた影響

スレンダーマンの事例で重要なのは、怪異が「発生した場所」と「広がった場所」がほぼ同じだという点です。
2ちゃんねるやYouTube的な文脈で生まれた存在が、ゲーム実況、ドキュメンタリー、映画へと流れ込み、さらに別のメディアで再解釈されました。
これにより、怪異は伝承として語られるだけでなく、消費され、再演され、評価される対象へ変わっています。
怪談が口伝で増える時代とは違い、クリック数やダウンロード数、興行収入、レビュー点数までがその拡散の痕跡になるのです。

整理すると、スレンダーマンはネット怪異がマス文化に進出する際の成功例であり、同時に限界例でもあります。
ゲームでは恐怖の核を保ったまま拡散できたのに対し、映画では受け皿が大きいぶん、魅力の輪郭がぼやけました。
おすすめの見方は、作品単体ではなく、実況・報道・映画が連鎖して一つの文化現象になった流れを追うことです。
そうすると、なぜこの怪異が2012年以降も生き残ったのか、はっきり見えてきます。

現実に起きた事件:2014年の刺傷事件

2014年5月、米ウィスコンシン州ウォキショーで起きた刺傷事件は、創作上の怪異が現実の重大事件に結びついた例として記憶されている。
加害少女2名と被害少女1名はいずれも当時12歳で、被害者は19回刺されながらも森から這い出し、通りかかった人に発見されて生還した。
報道が派手な見出しに流れやすい事件だけに、まず確認できる事実と司法判断を整理しておく必要があります。

事件の概要:何が起きたのか

事件は2014年5月、米ウィスコンシン州ウォキショーで発生した。
12歳の少女2名が同級生の12歳の少女1名を森へ誘い出し、そこで刺したのである。
被害者は19回刺されながらも自力で森から這い出し、通りかかった人に見つかって命をつないだ。
この経過だけでも、単なる「怪談の延長」として扱うには重すぎる現実性がある。

ニュースでこの事件を知ると、多くの人が「作り話がなぜ現実の事件に」と衝撃を受けたはずです。
だが、事件の理解に必要なのは感情の強さではなく、時系列と被害の実態を押さえることだろう。
被害者が生還した事実は、悲劇の深さを薄めるものではない。
むしろ、極めて危険な状況からの生還として、事件の異様さを際立たせている。

『スレンダーマンを信じた』という供述

加害少女2名は、スレンダーマンは実在し、彼に仕えるため、あるいは家族を守るためにやったと供述したと報じられた。
ここで重要なのは、創作であると周知されたネット怪異が、現実の重大行動の動機として語られた点にある。
怪異を信じたというだけでは説明できず、未成年の認知状態、同調、恐怖、現実感の揺らぎが複雑に絡んだ事例として見る必要がある。

この供述を聞くと、事件はたしかに「スレンダーマンが人を襲わせた」ように見えるかもしれません。
だが、そう単純化すると、何が引き金になり、どの段階で行動に移ったのかという肝心の論点が消えてしまう。
ここでは怪異そのものの実在性ではなく、創作物が未成年の判断にどれほど強い影響を与えうるかが問われているのです。

創作と現実をめぐる議論

司法判断では、2名とも精神疾患、つまり心神喪失を理由に無罪となり、刑務所ではなく精神医療施設に収容された。
つまり、裁判の中心にあったのは「怪異が存在したか」ではなく、当時の精神状態が責任能力にどう関わるかという医学的・法的論点だった。
事件を感情的な怪談に回収せず、司法がどのように責任を整理したかまで見て初めて、全体像が見えてくる。

この事件は、ネット怪異と未成年、そしてメディア環境の関係を社会に突きつけた。
創作物の責任の所在はどこにあるのか、子どもがどのように物語を受け取り、現実と混同しうるのかという議論につながり、後にHBOドキュメンタリーの題材にもなった。
扇情的に語るより、事実を冷静にたどるほうが、この事件の重みはかえって鮮明になるでしょう。

学術的に見たスレンダーマン:デジタル民俗学の視点

スレンダーマンは、デジタル民俗学の文脈では、作者がいると周知されたまま集合的に語り継がれる現代型の伝説として扱われます。
ここで面白いのは、真偽が争われる前に、まず「みんなで補いながら広める」こと自体が物語の核になっている点です。
都市伝説やUMAの報告を集めてきた立場から見ても、焦点は信じるかどうかではなく、なぜ人は作り物と知りつつ語り継ぐのかにあります。

なぜ作り物と知りつつ語り継ぐのか

民俗学でいう legend は、もともと口承のなかで自然発生し、語り手ごとに少しずつ姿を変えていく伝説でした。
スレンダーマンが新しいのは、作者がいると周知されたうえで、なお共同制作のように増殖したことです。
つまり、作り物である事実は物語を弱めるどころか、参加しやすさを高めてしまう。
信じる/信じないの二分では捉えきれないところに、デジタル民俗学の視点が必要になります。

怖い話を読んで終わりではなく、自分でも設定を足し、画像を探し、語り口をまねる。
その過程で人は物語の外側の観客ではなく、内側の参加者になります。
ここにあるのは単なる娯楽ではなく、仲間内で共有できる不気味さを持つことで帰属感を得る社会心理です。
否定するよりも先に、語る側に回るほうが楽しい。
だからこそ、作り物だと知っていても語り継がれるのです。

ネット時代の『伝説』の生まれ方

スレンダーマンのようなネット発の伝説は、双方向性によって育ちます。
誰かが役として演じ、記号を現実に描き、写真や文章で反応を返すたびに、物語は次の形へ更新される。
これを伝説の現実での再演と見ると、インターネットは単なる拡散装置ではなく、伝承をその場で加工する舞台になります。
固定された原話があるのではなく、参加者の数だけ変奏が生まれるわけです。

この構造は、都市伝説やUMAの流通ともよく似ています。
現地で見た、投稿で読んだ、友人から聞いたという小さな接点が重なると、事実の輪郭より先に「ありそうだ」という感触が立ち上がる。
スレンダーマンはその感触を、画像、掲示板、二次創作の連鎖で増幅させた代表例だと言えるでしょう。
伝説がネットで生まれるとき、重要なのは正確さより共有の速度になります。

陰謀論・フェイクニュースとの共通構造

この「作り物が集団の関与で現実味を帯びる」構造は、陰謀論やフェイクニュース、噂の広がり方とも重なります。
最初は明らかに物語めいていても、断片が反復され、解釈が足され、話す人の熱が加わるうちに、聞き手の中で現実に近い手触りを持ちはじめるからです。
スレンダーマンを読むことは、単なる怪談研究ではなく、ネット時代に信念がどのように生まれ、どのように流通するかを見極める手がかりになります。

だからこそ、スレンダーマンは「本当か嘘か」で終わらせるには惜しい題材です。
作り物であることと、共同で信じたくなることは両立する。
その事実を押さえると、陰謀論やフェイクニュースにも同じ回路があると見えてきます。
怖い話を楽しむときも、情報の広がり方を考えるときも、この視点はおすすめです。
次に似た話に触れたら、なぜ自分が引き込まれるのかを少しだけ立ち止まって見てみてください。

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霧島 玲奈

社会心理学の視点から都市伝説の伝播メカニズムやUMA目撃談の社会的背景を分析。年間100件以上の報告を収集・検証し、海外事例との比較調査にも取り組んでいます。

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