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都市伝説

がしゃどくろは、死者の骨が集まって巨大な骸骨になると語られてきた妖怪ですが、活字でその姿がはっきり現れるのは1966年(昭和41年)と、意外に新しい存在です。アニメやゲームで見慣れた「昔からの怖い妖怪」という印象は、実は後から形づくられた像に近く、そこには名前、絵、物語という三つの起源が重なっています。

都市伝説

ヒトリオという呼び名は、複数の検索を重ねても独立した都市伝説名としては裏付けが取れず、確認できる範囲で最も近いのは2ちゃんねる発の「ひとりかくれんぼ」です。都市伝説の語りを年間多数収集していると、正式名称が一つに決まらない怪談ほど検索者は名前の揺れに振り回され、出どころにたどり着けなくなります。

都市伝説

隙間女とは、タンスや冷蔵庫と壁の数ミリの隙間に女が立ち、じっとこちらを見つめてくるとされる現代日本の都市伝説である。深夜にSNSでこの話をたどると、部屋の家具の裏を思わず振り返ってしまう感覚が残るのが、この怪異の妙だ。

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白い線は、道路や歩道の白線を踏むか踏まないかに「死ぬ」などの罰を結びつける、子どもの口承遊びである。白線の上だけを歩く型と、白線を踏んではいけない型があり、下校途中に「白線だけを歩く」と遊んだ記憶を持つ人も少なくないでしょう。

妖怪図鑑

くわず女房とは、「飯を食わない」と偽って嫁入りした女が、頭頂部の髪の中に大きな口を持つ化け物だったという日本各地の昔話である。夫の留守に大量の握り飯を頭の口へ放り込んで食べる場面が核になっており、正体が露見したあとに夫が逃げる「人を食う怪物の逃走譚」として語られてきた。

都市伝説

口裂け女は、1978年12月ごろに岐阜県で噂が立ち、1979年1月26日の岐阜日日新聞で初めて新聞紙面に現れた戦後日本を代表する都市伝説である。春から夏にかけて全国の小・中学生へ広がり、1979年8月に沈静化するまでの流れを押さえると、この話が学校の口コミで増殖した構造が見えてきます。

都市伝説

赤いマントは、1939年(昭和14年)春の東京で、小学生から大人までを巻き込んだ流言として広がった怪談である。赤いマントの怪人が子どもをさらうという噂は、日中戦争下の不安の中で社会を動かした恐怖デマだった。

都市伝説

ヒサルキは、2003年2月13日に2ちゃんねるの洒落怖スレッド「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」へ投稿された話を初出とするネット怪異です。寺が運営する保育園の墓を囲む柵で、尖った杭の先に虫やトカゲ、やがてモグラや猫、飼いウサギまでが串刺しにされ、園児が「ヒサルキだよ」と名指したところから、

妖怪図鑑

目競(めくらべ)は、鳥山石燕が1781年刊の今昔百鬼拾遺に描いた妖怪で、平清盛が福原の邸で遭遇した大髑髏の怪異をもとにしています。平家物語巻第五「物怪之沙汰」には、福原の庭に無数の髑髏が現れて動き回り、やがて一つに合体して清盛を睨みつけたあと、日の光に溶けるように消えた話が記されており、

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震々(ぶるぶる)は、鳥山石燕が1779年に刊行した今昔画図続百鬼に収録した妖怪である。石燕は、人が恐怖で身震いし背筋がぞっとするのを、この妖怪が襟元に取り憑くためだと解説しており、姿かたちの怪異ではなく身体反応そのものを妖怪化した発想が核になっている。

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ひだる神は、河童や天狗のような姿を持たず、山道で旅人に激しい空腹と脱力を与える憑き物である。柳田國男ら民俗学者が早くから注目してきた題材でもあり、文献を読み比べるほど、姿はないのに各地で語られる不思議さが浮かび上がる。

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狒々は、猿が大型化したような姿で語られる妖怪で、山中に棲み、人間の女性をさらう怪力の持ち主として知られます。全身は黒い毛に覆われ、背丈一丈に及ぶ大ものもあり、顔は人に似て長い唇を持つとされるため、まずは「何者か」を姿と習性の両方から押さえておくと理解しやすいでしょう。