妖怪図鑑

大百足とは|俵藤太の百足退治伝説と正体

更新: 遠野 嘉人
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大百足とは|俵藤太の百足退治伝説と正体

大百足は、滋賀県の三上山に七巻半も巻きつくと伝わる巨大な妖怪ムカデであり、平安中期の武将・俵藤太こと藤原秀郷がこれを退治した話として知られます。太平記や俵藤太物語御伽草子に見える異同を踏まえると、この伝承は単なる怪異譚ではなく、

大百足は、滋賀県の三上山に七巻半も巻きつくと伝わる巨大な妖怪ムカデであり、平安中期の武将・俵藤太こと藤原秀郷がこれを退治した話として知られます。
『太平記』や『俵藤太物語』御伽草子に見える異同を踏まえると、この伝承は単なる怪異譚ではなく、瀬田の唐橋での出会いから退治までを通して人物像を立ち上げる説話だとわかります。
矢を弾く硬い甲羅、唾をつけて八幡大菩薩に祈る三本目の矢、そして竜神から授かる宝物までをたどれば、物語の核には呪術と信仰がきわめて濃く刻まれています。
さらに、竜とムカデの対立を水と山、農耕と鉱山の象徴として読む見方もあり、三上山の伝説がなぜ生まれたのかを掘り下げる手がかりになるでしょう。

大百足とは|山に潜む巨大な妖怪ムカデ

大百足は、実在のムカデを巨大化させた妖怪で、滋賀県の三上山に7巻半巻きつく巨体と伝わります。
単なる怪物譚ではなく、身近な虫を山そのものを覆うほどに拡大したところに、この伝承の怖さと説得力があります。
日常の中にある不快感が、山岳のスケールへ跳ね上がった存在だと考えると、なぜ人々が長く語り継いだのかが見えてきます。

大百足の姿と巨大さ

大百足は、三上山(標高432m、滋賀県野洲市)に7巻半巻きつくと伝わるほどの巨体で語られます。
普通のムカデなら地表を素早く這うだけですが、この伝承では山を取り巻き、夜空まで覆う存在へと引き上げられているのが特徴です。
見た目の異様さだけでなく、地理的に実在する三上山が舞台になることで、話は抽象的な怪談ではなく土地に根差した伝説として立ち上がります。

さらに、大百足は夜空を覆い、二つの目が松明のように赤く光ったと描写されます。
こうした描写は、実際の姿を見たという話ではなく、伝承のなかで恐怖を可視化した表現です。
暗闇の山、赤く光る目、巨大な節足動物という要素が重なることで、読者は姿を想像するだけで圧迫感を受けます。
ここに、妖怪が単なる大きさではなく「見た瞬間に怖い」と感じさせる演出として働いていることがよく表れています。

ムカデが妖怪として恐れられた理由

ムカデは無数の足で素早く動き、毒を持つことから、古来、人々に強い不快感と畏怖を与えてきました。
大百足の妖怪化は、こうした生理的嫌悪をそのまま物語の核にしたものだと考えられます。
見慣れた虫であるほど、サイズを極端に拡大したときの恐怖は増しますし、山のような巨体にまで膨らめば、もはや害虫ではなく災厄そのものとして受け取られるでしょう。

古典の描写をたどると、当時の人々が身近な虫を巨大化させて畏怖の対象にした心理が浮かび上がります。
ムカデは姿の不気味さに加えて、毒や敏捷さから制御しにくい存在でもありました。
だからこそ、山中にひそむ大百足は「見れば恐ろしい」だけでなく、「近づけば危険だ」と直感させる説得力を持ちます。
妖怪としての位置づけは、単なる想像の産物ではなく、人の身体感覚に根を持つ恐怖の増幅装置だと言えます。

竜・蛇との関係と『天竜』の別名

大百足は、蛇や竜と並ぶ妖怪として語られる一方で、『天竜』の別名を持つなど、竜との両義的な関係も示します。
ここが面白いところです。
大百足は竜の敵として山に現れますが、姿の長大さや威圧感は竜と地続きでもあり、完全な異物として切り離せません。
複数の妖怪事典の記述を突き合わせると、対立しながら近縁でもあるという整理がしやすくなります。

この両義性は、後段の竜対ムカデの対立構図への伏線にもなります。
竜が水や農耕のイメージを担うのに対し、ムカデは山や鉱脈の側に結びつけられやすいからです。
しかも『天竜』という名は、敵でありながら竜の属性を帯びる存在として大百足を捉えさせます。
伝承の中で完全な善悪に収まらないからこそ、物語は長く残り、読み返すたびに別の顔を見せるのではないでしょうか。

俵藤太の百足退治|瀬田の唐橋から三上山へ

項目 内容
名称 俵藤太の百足退治
主な舞台 瀬田の唐橋、三上山、三井寺
主要人物 俵藤太(藤原秀郷)、竜女、三上山の大百足
伝承の骨格 出会い、依頼、対決、報償
説話の性格 実在の地名と武勇譚を結びつけた伝説

俵藤太の百足退治は、平安中期の武将・俵藤太、すなわち藤原秀郷に結びついた武勇説話で、瀬田の唐橋から三上山へと物語が連なっていきます。
実在の地名が核になっているため、荒唐無稽な怪異譚でありながら、近江の土地の輪郭がはっきり残るのが特徴です。
出会い、依頼、対決という順で筋が進むので、場面ごとの因果を追うと話の骨格が見えやすくなります。

瀬田の唐橋での大蛇との出会い

物語の起点は、滋賀県大津市にある瀬田の唐橋です。
琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かるこの橋は、ただの舞台装置ではなく、近江の水辺と街道をつなぐ実在の要衝として伝説に地の手触りを与えています。
地元の歴史資料をたどると、橋の名がそのまま物語の入り口になっていることが確認でき、伝説が土地の記憶にしっかり根を下ろしているとわかります。

その橋に、大蛇が横たわっていたと伝わります。
藤太は少しも恐れず、それを踏み越えて渡った。
ここで示されるのは力まかせの勇気ではなく、怪異に呑まれない胆力です。
大蛇との出会いは単なる驚きの場面ではなく、この人物が後に大きな依頼を受けるにふさわしい器だと示す導入になっています。

竜女の正体と百足退治の依頼

大蛇はやがて、美しい女性、竜女へと姿を変えます。
彼女は自分が琵琶湖の龍宮の主であり、三上山に棲む大百足に一族が苦しめられていると明かし、退治を懇願します。
異類である相手が助力を求めるこの構図は、説話の中でもよく知られた型で、怪異を恐れる話ではなく、怪異を通じて英雄の資格が立ち上がる話として働いています。

この場面の面白さは、藤太の武勇が最初から完成形として描かれていないところにあります。
竜女は彼の豪胆さを見込み、困難な相手に立ち向かう役を託すのです。
読者にとって重要なのは、ここで物語の方向が決まることです。
瀬田の唐橋での偶然の遭遇が、そのまま三上山の戦いへつながり、近江の水と山の対立へ視線が移っていきます。

三上山に現れた大百足との対決

藤太は依頼を引き受け、夜、三上山に現れた大百足と対峙します。
三上山の大百足は、滋賀県の三上山に7巻半巻きつくと伝わる巨大な妖怪ムカデで、山そのものの脅威を背負った存在として語られてきました。
藤太が退治したのは、五人張りの強弓と通常より長い十五束三伏の矢を備えた武将・藤原秀郷ですから、ここでは人間の武力と妖怪の巨躯が真正面からぶつかることになります。

戦いは三本目の矢で決着します。
一の矢と二の矢は硬い甲羅に弾かれますが、三本目に唾をつけ、八幡大菩薩に祈って放つと、矢は眉間を射抜いて大百足を倒しました。
唾を魔除けの力とみる民間信仰が、クライマックスの鍵になっている点も見逃せません。
なお、この英雄譚の深層には、竜水とムカデ山の対立や、三上山一帯の鉄・銅資源を背景にした読みも重なっており、単なる怪物退治にとどまらない厚みを持っています。

唾と弓矢|大百足を倒した武勇の場面

藤太の武勇が際立つのは、ただ大百足を倒したからではなく、用いた弓矢の規模そのものが常人離れしているからです。
五人がかりで張る強弓に、通常の十二束を超える十五束三伏、約1m超の長矢を合わせたという描写は、相手の巨躯にふさわしい武具を与えることで、英雄譚の格を一段引き上げています。
巨大な敵には巨大な道具が必要だという感覚が、場面全体を支えているのです。

通常を超える強弓と長矢

五人張りの強弓と十五束三伏の長矢は、藤太の力を誇張するための飾りではありません。
むしろ、怪物の側の異様な大きさを読者に実感させる尺度として働いています。
十二束より長い矢をあえて示すことで、ふつうの戦では通じない相手だと先に印象づけ、後の一射に物語上の重みを与える構図になっています。
こうした数値の具体性は、伝承が単なる怪異談ではなく、武勇の場面として語り継がれてきたことを示します。

なぜ唾をつけた矢が効いたのか

一の矢・二の矢は大百足の硬い甲羅に弾き返されたと伝わります。
正攻法が立て続けに退けられるからこそ、三本目の矢に唾をつける所作が際立つのです。
ここで働いているのは、力任せの武威ではなく、身体の一部に呪力を見いだす民間信仰の発想でしょう。
唾は軽い所作に見えて、物語の内部では魔を退ける力を帯びた実践として機能し、矢に「人の気」を移すような役割を担っています。

唾を矢につける意味は、各地に残る唾の魔除け俗信と重ねると見えやすくなります。
日常の所作がそのまま異界への対抗手段になる点に、この説話の面白さがあります。
難しい武器ではなく、誰もが持つ身体の要素が決め手になるため、藤太の勝利は武勇と呪術が接続した結果として読めるのです。
物語はここで、技巧よりも加持の力へと軸足を移します。

八幡神への祈願という信仰の要素

三本目の矢は、唾をつけたうえで八幡大菩薩に祈念して放たれ、眉間を射抜いて大百足を倒したと伝わります。
八幡神への祈願が加わることで、この勝利は単独の英雄譚ではなく、武家の守護神信仰を背景にした合戦譚として厚みを得るのです。
藤太の技量だけでなく、神威に後押しされた射撃として語ることで、勝ち筋に正当性が与えられています。

八幡大菩薩は、武の場面に信仰の秩序を持ち込む存在です。
祈ってから放つという手順は、矢をただの武器ではなく、神仏に通じる媒介へ変えます。
大百足の眉間を射抜く一撃は、その変化が最も鮮明に現れる瞬間です。
人の唾液に魔を退ける力があるとする俗信と、八幡神への帰依が重なり合って、藤太の三の矢はようやく怪異を断ち切る力を得たと読めるでしょう。

龍宮の宝物|尽きない俵と避来矢

龍宮で藤太が受け取る宝物は、退治の褒美としての豪奢さよりも、豊穣と武威を同時に示す点に意味があります。
米が尽きない俵、切っても尽きない巻絹、自在に食物が出る鍋は、日々の暮らしを支える資源が尽きない理想を形にしたもので、海底の異界が現世の不足を補う場として描かれています。
異郷からの授与という筋立ては、浦島伝説にも通じる古い型です。

竜神から授かった宝物の数々

退治の礼として、藤太は竜神から米が尽きない俵、切っても尽きない巻絹、自在に食物が出る鍋などの宝物を授かったと伝わります。
ここで目を引くのは、黄金や珠玉ではなく、食と衣に直結する品が中心になっていることです。
これは単なる贈答ではなく、龍宮が「尽きない供給」の場として想像されていたことを示します。
武勇の報酬が財貨ではなく生活の持続へつながる点に、この説話の独特さがあります。

しかも、こうした宝物は藤太個人の手柄を飾るだけでは終わりません。
俵は米の豊かさを、巻絹は切っても切れない増殖性を、鍋は食物の自動供給を象徴し、いずれも不足のない世界を具体物として可視化しています。
異郷訪問譚では、異界の富が現世の秩序を回復する装置として働くことが多く、藤太の龍宮譚もその流れの中に置くと見通しがよくなります。

尽きない米俵と『俵藤太』の名

尽きぬ米俵は、『俵藤太』という名の由来と結びつけて語られることが多く、物語を覚えやすくする役割も果たしています。
俵が尽きないという話は、食料が最重要資源だった時代の感覚に響きやすく、名前そのものを説話化してしまう力があります。
読者にとって重要なのは、名と宝物が別々の情報ではなく、ひと続きの記憶装置として働いている点でしょう。

ただし、これは有力な説明のひとつにすぎません。
実際には、本来は相模・近江などにある田原荘の地名、つまり田原から俵へ転じたものに由来するという説も強く、こちらを原型に近いとみる見方も成り立ちます。
『尽きぬ俵』という説話的な理解と、地名起源という史学的見解の両方を並べてみると、後世の語りが名前の意味を豊かに作り替えた過程が見えてきます。

避来矢の鎧と子孫への伝来

矢を避ける鎧『避来矢(ひらいし)』もまた、藤太が授かったとされる重要な宝物です。
これは単なる防具ではなく、攻め寄せる力を退ける加護を目に見える形にしたものと言えます。
しかも、この鎧は子孫に伝えられたと語られ、褒美が一代限りの所有物ではなく、家の由緒を支える伝来品へと変わっていきます。
武具が家の権威の証として機能する、まさにその場面です。

宝物のうち鐘は三井寺に寄進したと伝わり、物語はそこで閉じずに次のゆかりの地へと接続されます。
鐘の移動は、龍宮から現世へもたらされた富が、寺社の縁起へ再配置されていく流れを示すものです。
藤太の説話が単独の英雄譚で終わらず、土地や寺院の記憶をつなぐ媒介になっている点に、この伝承の面白さがあります。

伝説ゆかりの地|三上山・瀬田の唐橋・三井寺の鐘

瀬田の唐橋から三上山、さらに三井寺へとつながる俵藤太秀郷の伝説は、滋賀の実在の地形や寺社に根を下ろしている点が特徴です。
琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる橋で大蛇と出会い、竜女の依頼を受けて三上山の大百足を退治し、その後の由来が各地の縁起や文化財に重なっていきます。
物語としては単純でも、現地をたどると地名・像・堂・鐘が互いに呼応し、伝説が土地の記憶として残っていることが見えてきます。

近江富士・三上山とムカデ山伝説

三上山は滋賀県野洲市にある標高432mの山で、端正な姿から近江富士と呼ばれます。
ここに結びつくのが、秀郷が退治した相手として語られる大百足です。
実在の山にムカデ山という別名が残るのは、伝説が単なる飾り話ではなく、山の呼び名そのものに食い込んだからでしょう。
物語の核が地形に固定されることで、三上山は「昔話の舞台」ではなく、今も眺められる土地の象徴として親しまれてきたのです。

瀬田の唐橋と俵藤太の像・雲住寺

瀬田の唐橋は、滋賀県大津市で琵琶湖から流れ出る瀬田川に架かる橋で、この伝説の起点にあたります。
藤太は橋に横たわる大蛇を恐れず踏み越えて渡ったと伝わり、その大胆さが後の依頼を引き出します。
大蛇は美しい女性、竜女に姿を変え、三上山の大百足を退治してほしいと懇願しました。
ここで重要なのは、恐怖の対象だった存在が、実は助けを求める者へ反転する点です。
橋のたもとに俵藤太秀郷の像が立つのも、この出会いが物語の核心として受け継がれているからだと読めます。
近くの雲住寺には、大百足を供養する百足供養堂が伝わるとされ、退治譚が信仰と供養のかたちにまで広がった様子がうかがえます。

三井寺『弁慶の引摺鐘』の伝来

三井寺は園城寺の名でも知られる滋賀県大津市の寺院で、ここには秀郷が竜神から得て寄進したと伝わる奈良時代の銅鐘『弁慶の引摺鐘』があります。
重要文化財に数えられるこの鐘は、俵藤太伝説と弁慶伝説の両方にまたがる点が面白いところです。
百足退治の物語が、寺の鐘に別系統の英雄譚を重ね、ひとつの文化財を通じて複数の語りを生み出しているからです。
地元博物館や寺社の伝承記述を照合すると、三上山・瀬田の唐橋・三井寺がそれぞれ独立した名所でありながら、秀郷の物語によって一本の線で結ばれていることが見えてきます。
施設・所在情報は変わり得るため、訪れる際は各寺社や自治体の案内を確認してみてください。

大百足伝説の背景|鉱山とたたら製鉄の象徴

三上山の大百足伝説は、単なる怪物退治譚ではなく、竜女が象徴する水・農耕の力と、大百足が象徴する山・鉱山の力の対立として読むと輪郭がはっきりします。
土地の生業と信仰がぶつかる場面を物語化したものだと考えると、この伝承が長く語り継がれた理由も見えてきます。
さらに、ムカデという名が鉱脈の呼称と重なる点まで含めると、伝説は地域の産業記憶を映す装置だったと分かります。

竜(水・農耕)とムカデ(山・鉱山)の対立

竜女は水を呼び、田を潤し、農耕を支える存在として配置されます。
これに対して大百足は山の奥、あるいは地中の資源を象徴し、自然を切り開く鉱山開発の側に結びつく。
両者の対立は、善悪の単純な対決ではなく、水利を重んじる農耕社会と、山を掘って富を得る鉱業の緊張関係を物語へ置き換えたものだと読めます。
人々が見ていたのは怪物そのものより、暮らしを支える二つの力のせめぎ合いだったのでしょう。

この構図が面白いのは、伝説が地域経済の現実をそのまま映さず、象徴へ変換している点です。
竜は恵みをもたらすが、同時に制御されねばならない水でもある。
ムカデもまた、忌まれる異形であると同時に、山の奥に眠る富の顔を持つ。
対立のかたちで語られることで、農耕と鉱山のどちらが優位かという問題が、神話的な筋立ての中に滑り込んでいきます。

鉄鉱脈を意味した『ムカデ』の呼称

鉱山では鉄の鉱脈を『黒ムカデ』、銅の鉱脈を『赤ムカデ』と呼んだとされます。
ここで重要なのは、ムカデがただの怪異ではなく、地下資源を示す実用語としても働いていたことです。
三上山一帯は鉄・銅の鉱脈を含む地として知られ、伝説の舞台と採掘の現場が重なっていました。
つまり、大百足は山に潜む脅威であると同時に、掘り当てるべき資源のイメージでもあったわけです。

研究者・若尾五雄は、ムカデを鉄鉱脈、退治、つまり射る行為を鋳造や製鉄の象徴として読む説を示しました。
この見方に立つと、藤原秀郷が大百足を射る場面は、怪物討伐というより、山の資源を人間の技術へ変える儀礼的な物語として立ち上がります。
たたら製鉄との関わりを考える上でも示唆的で、山の恵みを武器や道具へ変える営みが、妖怪退治の形に姿を変えた可能性が見えてきます。
もちろん一つの解釈として留保は必要ですが、物語の密度はこの視点でぐっと増すのです。

藤原秀郷という実在の武将と平将門の乱

大百足伝説を支えるもう一つの柱が、退治者の藤原秀郷です。
彼は平将門の乱(940年・天慶3年)を鎮圧した実在の武将であり、史実の英雄に超自然的な武勇譚が付与されていく典型的な例になっています。
実在の人物であるからこそ、後世はその名に怪異退治の重みを載せやすかったのでしょう。
歴史の側に立つ人物が、いつしか説話の主人公へと変わる過程がここにはあります。

この付着は、史料と説話の両面から見るとよく分かります。
史料は藤原秀郷の実在を支え、説話はその名を土地の記憶へ深く沈める。
実際には、武功のある武将が、地域の山や鉱山にまつわる不安を引き受けるかたちで語り直されたと考えると自然です。
英雄譚は突然生まれるのではなく、土地の事情、経済の緊張、信仰の重なりの上に積み上がっていくのだと分かるでしょう。

大百足と俵藤太の現代の受容

俵藤太の百足退治は、江戸期の浮世絵で繰り返し描かれたことで、文字だけの伝承から視覚的な英雄譚へと広がりました。
歌川国芳をはじめとする絵師が劇的な構図を選んだのは、大百足の巨大さと俵藤太の落ち着いた姿が、画面の緊張感を生みやすかったからです。
古典では『太平記』に早い記述が見え、その後『俵藤太物語』御伽草子として説話化され、現代では『Fate/Grand Order』などのゲームに登場して名を取り戻しています。
伝承の変化を追うと、同じ英雄像でも時代ごとに強調点が更新されてきたことがよくわかるでしょう。

浮世絵に描かれた百足退治

江戸期の浮世絵における百足退治は、単なる怪異譚の挿絵ではなく、伝説を「見せる」文化に変えた表現でした。
歌川国芳をはじめ多くの絵師が俵藤太の百足退治を題材にしたのは、弓を構える俵藤太と、画面を横断するようにうねる大百足の対比が強い印象を残すからです。
庶民がこの図柄に惹かれたのは、退治の結果よりも、巨大な敵に動じない英雄の気配を一枚の絵で味わえた点にあります。

浮世絵では、怪物の異形さを誇張するほど、俵藤太の冷静さが際立ちます。
ここに江戸の受け手が好んだ「見立て」の面白さがあり、伝説は恐怖だけでなく、構図の妙を楽しむ娯楽にもなりました。
百足の脚の反復や曲線は画面のリズムを作り、英雄譚を視覚文化として定着させる役目を果たしたのです。

太平記から御伽草子への系譜

俵藤太の物語は、まず『太平記』に早い記述が見え、そこから『俵藤太物語』御伽草子として説話化されました。
この系譜をたどると、史書的な記述が、読まれる物語へと組み替えられていく流れが見えてきます。
どの段階でも俵藤太は英雄ですが、加えられる要素は少しずつ違います。
大まかに言えば、『太平記』では事績の骨格が先に立ち、『俵藤太物語』御伽草子では怪異との対決や教訓性が強まり、話としてのまとまりが増したと考えると整理しやすいでしょう。

この変化は、伝承が静止した資料ではなく、読者の期待に合わせて形を変える生きた話だと教えてくれます。
古典から御伽草子へ移る過程で、俵藤太は軍記の人物から、子どもにも語りやすい説話の英雄へ近づいていきました。
創作と原典の境界を意識して読むと、どの要素が後から加わったのかが見えやすくなります。

段階典拠俵藤太像物語上の重点
初期記述『太平記』事績を持つ武者記録性、骨格的な伝承
説話化『俵藤太物語』御伽草子英雄として輪郭が明確怪異退治、勧善の物語性

ゲーム・アニメに生きる俵藤太

現代では『Fate/Grand Order』などのゲームに俵藤太が登場し、古典の人物が再び広く知られるきっかけになっています。
ここで面白いのは、昔話がそのまま再現されるのではなく、現代の物語演出に合わせて再解釈される点です。
名前だけを借りたキャラクター化ではなく、原典の俵藤太が持つ「巨大な敵を前にしても崩れない英雄性」が、ゲーム的な役割と結びつくことで新しい入口になっています。

こうした受容は、古典を難しいものとして閉じ込めるのではなく、エンタメを通じて原典へ戻る導線を作ります。
ゲームやアニメで俵藤太を知った読者が、『太平記』や『俵藤太物語』御伽草子に触れてみてください。
すると、創作で強調された豪快さと、伝承本来の落ち着いた英雄像の差が見えてきます。
時代ごとに姿を変えながら生き残るところに、この人物の強さがあるのです。

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遠野 嘉人

民俗学を専攻し、日本各地の妖怪伝承をフィールドワークと古典文献の両面から研究。『今昔物語集』『画図百鬼夜行』等の原典にあたった解説を信条とします。

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