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妖怪文化・民俗学

北陸の雪女は、越後・越中・加賀能登・若狭にまたがって語り継がれてきた雪国の怪異である。宗祇諸国物語に見える越後の雪女は、白衣・白髪・一丈ほどの巨大な女として記録されており、現代に広まる美しく哀しい姿とはかなり違う。越後の豪雪地帯を冬に歩くと、家々が雪に埋もれ、日が落ちた途端に視界が閉ざされる。

妖怪文化・民俗学

座敷童は、明治43年(1910年)刊行の遠野物語に記された遠野地方の伝承であり、家の盛衰を左右する子どもの神として語られます。土淵村山口の孫左衛門家の没落譚まで原文に当たり直すと、後世の「福を呼ぶ妖怪」という通俗像だけでは捉えきれない輪郭が見えてきます。

妖怪文化・民俗学

中国地方の妖怪伝承は、ゲゲゲの鬼太郎や出雲大社、境港観光の入口から親しまれることが多いですが、その奥には733年完成の出雲国風土記に遡る古層があり、現存する最古級の鬼の記録まで含んでいます。

妖怪図鑑

付喪神は、長く使われた古道具に魂が宿って妖怪になったものの総称であり、九十九(つくも)という名も「百年に一年足らぬ」という数の言い回しに由来するとされます。唐傘お化けや提灯お化けはその代表格で、鳥山石燕の妖怪画集をたどると、別々に見えた姿が「器物の妖怪」という一つの章で束ねられていることがわかります。

妖怪文化・民俗学

妖怪が登場する日本の祭りは、来訪神型、追儺・鬼追い型、現代の妖怪パレード型の3つに大きく分けられます。男鹿のナマハゲや宮古島のパーントゥのように異形が家々へ訪れる行事があるかと思えば、節分の追儺式では鬼が退治され、祭りごとに妖怪の立ち位置は正反対になります。

妖怪文化・民俗学

妖怪遊びとは、江戸時代の日本で妖怪を恐れるだけでなく、かるたや双六、百物語として親しんできた文化である。とりわけ1776年の鳥山石燕画図百鬼夜行以降、妖怪は図像として整えられ、遊びの題材へと広がっていった。

妖怪文化・民俗学

浮世絵に描かれた怪異は、江戸後期から明治にかけて大きく妖怪画と幽霊画の二系統に分かれた表現である。自然や器物、動物に由来する異形を描く妖怪画は、安永5年(1776年)の鳥山石燕画図百鬼夜行によって、言葉だけだった妖怪を目に見える姿へと押し出した。

妖怪文化・民俗学

四国は、狐よりも狸が怪異を担う土地として語られてきた地域である。屋島寺の蓑山大明神、阿波の金長狸、伊予の隠神刑部という名が並ぶだけでも、その伝承の密度は群を抜いている。実際、タヌキ火やあずき洗い、嫁入り行列まで狸のしわざとして受け止められ、なぜ四国だけが「狸の国」になったのかという問いが生まれてきた。

妖怪文化・民俗学

日本の幽霊像は、白い経帷子、乱した長い黒髪、腰から下が消える姿という三つの要素で江戸時代に固まった表現である。円山応挙(1733年生)をこの定型の始点とみなす通説は広く知られるが、実際には1673年の古浄瑠璃花山院きさきあらそひの挿絵に、すでに足のない幽霊が描かれている。

妖怪文化・民俗学

江戸時代の妖怪ブームとは、安永・天明期(1770〜80年代)に、畏れの対象だった妖怪が娯楽キャラクターへと性格を変えた文化現象である。鳥山石燕の画図百鬼夜行(1776年)が火付け役となり、名前と絵をそろえた図鑑形式の面白さが評判を呼んだことで、妖怪はまず見るもの、そして読むものへと広がっていきました。

妖怪文化・民俗学

牡丹灯籠は、四谷怪談番町皿屋敷と並ぶ日本三大怪談の一つで、落語・歌舞伎・映画へと受け継がれてきた悲恋の怪異譚です。幽霊のお露が牡丹の灯籠を提げ、カランコロンと下駄を鳴らして夜ごと通う場面は、この物語を最も強く印象づける場面でしょう。

妖怪文化・民俗学

能と狂言は、同じ能舞台で上演される姉妹芸能ですが、鬼と霊の描き方はきわめて対照的です。能では敦盛や清経に見られるように、戦で修羅道に落ちた武将の亡霊や、鬼神・龍をめぐる存在が、世阿弥が大成した様式のなかで恐ろしくも哀れな主役として舞い、最後は弔いによって鎮められます。