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加牟波理入道とは|厠に現れる入道と唱え言の正体

更新: 遠野 嘉人
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加牟波理入道とは|厠に現れる入道と唱え言の正体

加牟波理入道は、厠(便所)に現れる入道姿の妖怪で、鳥山石燕の妖怪画集今昔画図続百鬼(1779年)に図像と解説が残ることで広く知られる存在です。口からほととぎすを吐き出す異様な姿は強い印象を残しますが、まずは「トイレに出る妖怪」として押さえると、江戸の画図にまで遡る古い来歴が見えてきます。

加牟波理入道は、厠(便所)に現れる入道姿の妖怪で、鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百鬼』(1779年)に図像と解説が残ることで広く知られる存在です。
口からほととぎすを吐き出す異様な姿は強い印象を残しますが、まずは「トイレに出る妖怪」として押さえると、江戸の画図にまで遡る古い来歴が見えてきます。
この妖怪でよく語られるのが、大晦日に厠で「がんばり入道郭公」と唱えると現れないという唱え言でしょう。
唱える時期は大晦日の夜、場所は厠の中とされ、地域に残る俗信をたどると、言葉そのものの意味よりも、年越しの境界で穢れや禍いを避ける働きが重視されていたことがわかります。
もっとも、加牟波理入道は単なる厄よけの対象ではありません。
便所の守護神とも、現れると災いをもたらす存在とも語られ、江戸時代の辞書『諺苑』では大晦日に思い出すこと自体が不吉とされました。
中国の厠神「郭登」とほととぎすの古名「郭公」が音で結びついたことが、名前と図像の背景にあると考えられています。
古い妖怪画集の解説文を読むと、こうした由来と土地ごとの俗信を重ね合わせることで、何のためにいるのか分かりにくい妖怪ほど輪郭がはっきりしてくるので、本文ではその読み解きを順にたどってみましょう。

加牟波理入道とは|厠に現れる入道姿の妖怪

加牟波理入道(がんばりにゅうどう)は、厠(便所)に現れるとされた入道姿の妖怪です。
まず「どこに出て、どんな姿なのか」を押さえておくべき存在でしょう。
現代では「トイレの妖怪」として語られがちですが、もともとは大晦日の厠と結びついた俗信の中で育ったもので、怖がらせるだけの化け物として片づけると見えにくい面があります。
図像と名前を広く定着させたのは鳥山石燕の妖怪画集『今昔画図続百百鬼』(1779年・安永8年刊)で、ここでの描写を入口に読むと、この妖怪の輪郭がぐっと明瞭になるでしょう。

厠(便所)に現れる入道とは

加牟波理入道は、厠(便所)に出る入道、つまり僧形の姿を取る妖怪です。
厠という場所は、家の内と外、生と死、清浄と穢れの境目に置かれたため、そこに怪異が現れるという発想は自然に生まれました。
しかも加牟波理入道は、ただ座敷わらしのように「いる」だけではなく、大晦日の年越しと結びついて語られる点に特徴があります。
年の切り替わりに旧年の穢れが残っていないかを見張る、そんな役回りとして理解すると、単なる恐怖譚ではないことが見えてきます。

鳥山石燕の『今昔画図続百鬼』で図像化されたことも、理解の軸になります。
石燕は無から創作したのではなく、すでに各地で語られていた厠の俗信を、絵と言葉で可視化したと見るのが自然です。
とくに同書では、加牟波理入道が口からほととぎすを吐き出す入道として描かれ、解説には大晦日に厠で「がんばり入道郭公(ほととぎす)」と唱えれば現れない、という趣旨が添えられています。
ここで大切なのは、妖怪そのものより「いつ」「どこで」「何を唱えるか」が一体になっていることです。

『がんばり入道』ほか複数の呼び名

通称はがんばり入道で、ほかにがつはり入道、雁婆梨入道、眼張入道など複数の異表記が伝わります。
表記が揺れるのは、加牟波理入道が最初から文字で整えられた存在ではなく、口承の俗信を母体として各地に広がったからです。
名前の形そのものが固定されていないので、地域ごとの聞き取りや写本の違いが、そのまま妖怪の姿の違いにもつながっていく。
ここが面白いところです。

また、この語の背景には中国伝来の知識が関わるとされ、厠神の名「郭登」と、ほととぎすの古名「郭公」が音の上で結びついたと説明されます。
厠でほととぎすを聞くのは不吉だという感覚は『荊楚歳時記』にさかのぼり、文政期の『喜遊笑覧』にも子どもが大晦日に厠で唱える習俗が記録されます。
つまり、加牟波理入道は単なる日本の奇談ではなく、言葉の連想、年中行事、厠という境界空間が重なって形づくられた存在なのです。
地域資料を並べると、同じ名前でも別物のように見えることがあり、民俗の現場をたどるときの手触りがそのまま出ます。

妖怪図鑑での扱われ方

現代の妖怪図鑑やゲーム、創作では、加牟波理入道は「トイレの妖怪」として紹介されることが多いです。
名前だけ覚えていた読者が原典にあたると印象が変わるのは、この妖怪が本来、怖がらせるためだけの存在ではなく、大晦日と厠を結ぶ年越しの俗信だったとわかるからでしょう。
便所に出る僧形の怪異という見た目のわかりやすさが先に立ちますが、その背後には旧年をきれいに越えるための生活感覚が隠れています。

ただ、図鑑的な「トイレの妖怪」のイメージだけを追うと、本来の季節性は見落とされがちです。
和歌山の雪隠坊、兵庫県姫路のような唱え言の伝承、松浦静山『甲子夜話』に見える類話まで含めて読むと、加牟波理入道は各地で少しずつ顔を変えながら残ってきたことがわかります。
複数の地方資料を並べると、同じ妖怪なのに別物のようだと感じるはずです。
そこから原型へ戻していく作業こそ、この妖怪を読むいちばんの面白さだと言えるでしょう。

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』に描かれた姿

加牟波理入道の図像が広く知られる起点は、鳥山石燕が1779年(安永8年)に刊行した『今昔画図続百鬼』です。
ここでの姿は、厠に現れる入道が口からほととぎす(鳥)を吐き出すという、ひと目で記憶に残る構図にまとめられています。
単なる怪異の挿絵ではなく、口から鳥が出る理由まで含めて妖怪の輪郭を与えた点に、この図の面白さがあります。

口から鳥を出す入道の図像

石燕の加牟波理入道は、便所という境界的な場所に立つ入道姿で描かれ、しかも口元からほととぎすを吐き出します。
この配置が異様なのは、恐怖の対象をただ不気味にするためではなく、妖怪名そのものと図像を結びつける働きを持つからです。
同じ画集に並ぶ厠や夜の妖怪と見比べると、加牟波理入道だけが「鳥を吐く」という飛び抜けて具体的な異形を持っており、図版の中でひときわ記号性が強い存在だと分かります。
原典を崩し字で追うと、現代の妖怪事典が要約で落としがちな細部まで拾える。
賛の言い回しや中国故事への言及まで見えてきて、図像の一回性がぐっと立ち上がるのです。

石燕の解説文が伝えること

『今昔画図続百鬼』が前作『画図百鬼夜行』と違うのは、各妖怪に解説文・賛が添えられている点です。
加牟波理入道の解説文には、「大晦日に厠で がんばり入道郭公(ほととぎす)と唱えれば現れない」という趣旨が記され、唱え言がすでに江戸期の伝承として整っていたことが分かります。
つまり石燕は、絵だけでなく言葉でも妖怪の使い方を示したわけです。
厄除けの実用性がそこにあり、読者は図像を眺めるだけでなく、どういう場面でこの名を口にするのかまで理解できたはずです。

この解説が示すのは、加牟波理入道が「怖いもの」であると同時に「扱い方のある怪異」だという事実でしょう。
唱え言を知っているかどうかで、便所に潜む気配の意味が変わるからです。
大晦日、厠、がんばり入道郭公(ほととぎす)という三つの条件がそろうところに、伝承の生活感が宿っています。

『画図百鬼夜行』シリーズの中での位置づけ

石燕は同書で中国の厠神にも触れており、加牟波理入道の背景に伝来知識を重ねています。
ここで重要なのは、石燕が怪異を空想で膨らませたのではなく、当時の文献知識と俗信を組み合わせて「正体」を与えていることです。
中国の厠神の名「郭登」と、ほととぎすの古名「郭公」が音通するという連想は、そのまま図像の奇抜さを支える知的な骨組みになります。
古典の文脈を踏まえると、口から鳥を吐く姿も突飛さだけでは終わりません。

『画図百鬼夜行』シリーズは江戸後期以降の妖怪像の基盤となり、加牟波理入道もこの画集を通じて図像が固定化されました。
後の妖怪図鑑や解説書が石燕の姿を参照し続けたのは、あの一図が名称、場所、唱え言、由来の断片を一枚に束ねていたからです。
複数の図版を並べて見てみると、加牟波理入道が単なる便所怪異ではなく、石燕によって「読める怪異」として完成したことが、はっきり見えてきます。

大晦日の唱え言『がんばり入道ほととぎす』

加牟波理入道の唱え言でまず押さえたいのは、唱える時期が大晦日の夜、場所が厠(便所)の中だという点です。
時・場所・言葉の三つがそろってはじめて、この伝承はただの言い回しではなく、年越しの不安を受け止める実践として見えてきます。
地方ごとの伝承を比べると、語尾やリズムに揺れがあり、子どもの遊び唄のように口承で広がった気配も濃いです。

いつ・どこで唱えるのか

加牟波理入道で最も検索されるのが唱え言であり、唱える条件はかなりはっきりしています。
大晦日の夜に、厠の中で、決まった言葉を口にする。
三点セットとして伝わっているからこそ、読者はこの妖怪の伝承を「見かけたかどうか」ではなく、「どう備えるか」という行為の側から理解できます。
年の境目は家の内外の気配がゆらぐ時刻で、そこに厠という日常の中でも特に隔たった場所が重なるのです。

この配置は、家庭の年越し行事の中で唱え言が埋め込まれていたことを示します。
除夜の習俗には、火、音、食べ物、掃除など、家を一新するための小さな作法がいくつもありますが、厠で唱える行為もその一つとして働いていました。
特別な神事というより、身近な暮らしの延長にある俗信です。
だからこそ、子どもにも口移しで覚えやすく、家庭内で受け継がれたのでしょう。

唱え言の正確なフレーズ

唱え言の基本形は『がんばり入道ほととぎす(郭公)』です。
これに対して、『がつはり入道ほととぎす』のような訛った形も各地に伝わります。
ここで注意したいのは、唯一の正解形を探す話ではないことです。
土地ごとに採集された唱え言を並べると、音の伸ばし方や語尾の跳ね方が少しずつ違い、同じ呪文が口承の中で変形してきたことが見えてきます。

この揺れは、むしろ民間伝承らしさの証拠です。
書き言葉のように固定された句ではなく、唱える人の息づかいや周囲の音に合わせて調整されるからです。
とくに子どもの遊び唄のように伝わった形を考えると、覚えやすいリズムが先にあり、そこに『がんばり入道ほととぎす(郭公)』という核が残ったと考えると自然でしょう。
厳密な一字一句より、唱えるたびに口の中で復元される生きた言葉として捉えるのがおすすめです。

唱えると妖怪が現れない理由

唱えることで「この妖怪が現れない」とされるのが、石燕の解説文に基づく標準的な効能です。
つまり、加牟波理入道は単に怖がる対象ではなく、正しい言い方を知っていれば避けられる存在として扱われてきました。
年の変わり目という不安定な時間に、厠という不浄の場で身を守るための呪言として機能していた、と見ると伝承の輪郭がはっきりします。

重要なのは、ここでは効能の事実だけを押さえ、理由の詳細は先へ送ることです。
なぜこの言葉で退けられるのかは、後述する中国の厠神・郭登とほととぎすの音通という由来に関わります。
先に「効く」と知っておくと、読者はその後に出てくる由来の話を、単なる語呂合わせではなく、意味を持った結びつきとして読みやすくなるでしょう。
そうして全体をたどると、加牟波理入道の唱え言は、恐怖を封じるための短い呪言であり、同時に年越しの家の作法でもあったとわかります。

守り神か禍いか|相反する二つの俗信

加牟波理入道は、便所の守護神とも、現れると禍いをなす存在とも語られる妖怪である。
面白いのは、この相反する俗信が矛盾としてではなく、厠という場の性格から自然に生まれている点にあります。
年の境目に不安が集まる場所だからこそ、守りも祟りも同じ姿で語られたのでしょう。

相反する伝承を別々の地域や文献から拾い上げると、話の食い違いはむしろ輪郭をはっきりさせます。
加牟波理入道の場合も、守護神説と不吉説を並べることで、「年の穢れ」をどう扱うかという民俗的な関心が見えてきます。
境界に立つ神や妖怪は、守るものでもあり、越境を戒めるものでもある。
この妖怪の二面性は、その典型です。

便所の守護神とする説

便所の守護神とする俗信では、加牟波理入道は旧年の穢れを年内に残していないかを監視する存在として働きます。
厠は日常の中でも穢れが集まりやすい場所であり、だからこそ年越しに向けて「ここに古い穢れを持ち越さない」という発想が生まれやすいのです。
年末に唱え言が集中するのも、この感覚とよく噛み合います。

守る役割を担う妖怪は、単に危険がない存在という意味ではありません。
むしろ、見張られているという緊張があるからこそ、厠という場所の清めや年越しの区切りが強く意識されるのです。
境界を守る神格は、外からの侵入を防ぐだけでなく、内側にある古いものを留めない役目も持つ。
ここに、加牟波理入道が便所の守護神として語られる理由があります。

唱えると不吉とする説

ただし、加牟波理入道には唱え言そのものを不吉とする説もあります。
江戸時代の辞書『諺苑』(1797年成立)は、大晦日に唱え言を思い出すこと自体を不吉としました。
避けの呪文として有効だとする理解があるのに、思い浮かべるだけで忌むべきものになる。
この反転は、言葉が効力を持つと考える民俗感覚の強さをよく示しています。

ここで重要なのは、同じ言葉が守りにも祟りにも転ぶことです。
唱えることで厄を退けるはずなのに、年の終わりにその名を意識すること自体が不安を呼ぶ。
加牟波理入道の伝承は、妖怪名が単なる呼称ではなく、場の空気や時節を揺らす力として受け取られていたことを教えます。
年越しの厄を越さないための言葉が、逆に境目の不穏さを呼び戻してしまうわけです。

覗き込み・便秘などの悪戯譚

禍いをなす側面は、各地の悪戯譚にいっそうはっきり現れます。
窓から覗き込む、冷たい息を吹きかける、ひどい便秘にして困らせるといった話は、どれも厠という閉じた空間に侵入してくる不気味さを強めています。
守護神の顔を持ちながら、そこへあえて不快を持ち込む落差が、加牟波理入道のキャラクターを際立たせるのです。

こうした話を境界の妖怪・神と比べると、二面性はむしろ共通の性質だとわかります。
守り神でもあり祟り神でもある存在は、境界が「通してはいけないもの」と「通すべきもの」を同時に抱えるからこそ生まれるのでしょう。
加牟波理入道を他の境界神と並べると、厠が日常の最も身近な境界であること、そしてその境目が人の不安を最も露わにすることが、すっと腑に落ちます。
複数資料を突き合わせてみると、この妖怪は怖いだけの存在ではなく、年の切り替わりをどう受け止めるかを映す鏡として読めるのです。

名前と図像の由来|中国の厠神・郭登とほととぎす

中国の厠神の名を郭登とする伝承を手がかりにすると、加牟波理入道の図像とほととぎすの唱え言は、単独で生まれた怪談ではなく、中国伝来の知識が日本で組み替えられたものだと見えてきます。
口から鳥を出す姿と鳥の名が結びつくのは、意味より先に音の連想が働いたからで、厠の妖怪にほととぎすが絡む最大の理由もそこにあります。
日本の話を中国の故事や歳時記まで遡って読むと、ばらばらに見えた怪異が東アジア規模の俗信の支流としてつながり、伝承史の視界が一気に開けるのです。

中国の厠神・郭登との関係

中国では厠神の名を郭登とする伝承があり、これが郭公、すなわちほととぎすの古名と音が通じることから、日本で加牟波理入道とほととぎすが結びついたと考えられています。
似た音が似た像を呼び寄せる連想の力が働いているのであり、口から鳥を出すという奇妙な図像も、単なる奇抜さではなく、音と意味のずれが生んだ視覚化だと読むと腑に落ちます。

この経路をたどると、妖怪は土着の想像力だけで閉じた存在ではなく、文字と音の戯れから立ち上がることがわかります。
郭登と郭公のような音通は、名前の偶然を信仰のかたちへ変えてしまう典型例でしょう。
比較文献を追う作業で見えてくるのは、怪異そのものよりも、怪異を結びつける言葉の働きなのです。

ほととぎすを聞くと不吉という俗信

厠でほととぎすの声を聞くのは不吉だという俗信は古く、六朝期の『荊楚歳時記』にも見えます。
場所が厠であることに意味があり、声の主がほととぎすであることにも意味がある。
清潔と穢れの境目に立つ場所で、夜鳥の声を聞くことが忌まれるからこそ、加牟波理入道の図像は不気味さをいっそう強めたのでしょう。

日本側でも、その連想はかなり具体的に残っています。
文政期の風俗事典『喜遊笑覧』には、子どもが大晦日に厠で「がつはり入道ほととぎす」と唱える習俗が記録されており、中国の俗信が日本の年中行事の場へ移植された姿が見て取れます。
大晦日の境目の時間と、厠という境目の場所が重なることで、声を唱える行為そのものが厄払いと予兆の両方を担うようになったのでしょう。

『がんばり』『眼張』など名前の語源説

名前そのものの語源には、眼張、頑張り、雁婆梨など複数の説があり、定説は一つに定まりません。
なかでも眼張は、がんばりを白目をむいて見張る姿に結びつける発想で、見えないものをにらみ返すような妖怪像と相性がよい説です。
頑張り説は音の勢いを重んじた民間的な解釈として読むとわかりやすく、雁婆梨は漢字のあて方が先行して意味が後から寄せられた例として面白い。

語源説が割れるのは、加牟波理入道が一つの起点から生まれたのではなく、音・姿・俗信の三層が重なって成立したからです。
どの説も決め手は弱いものの、だからこそ語りの余白が残り、土地ごとに呼び名が揺れました。
名前を追うだけで、妖怪が文字と音のあわいから形を得る過程が見えてきます。

生首が小判に変わる|姫路ほか地域の伝承

加牟波理入道は、厠に現れるだけの怪異ではなく、唱え言によって富を得るという逆転した伝承まで持っています。
姫路地方の生首が小判に変わる話や、『甲子夜話』に見える類話を並べると、この妖怪が「避ける対象」と「利益をもたらす存在」の両方として語られてきたことが見えてきます。
地方の郷土資料を集めるほど、同じ怪異が土地ごとに役割を変え、口承と文献のあいだを行き来していた手応えが強くなるでしょう。

姫路の生首が小判になる話

兵庫県姫路地方では、大晦日に厠で唱え言を3回唱えると人間の生首が落ちてきて、それを布に包み、部屋で光にかざすと金、小判に変わるという伝承が伝わります。
ここで目を引くのは、ただ怪異を避けるための呪文ではなく、唱え方の回数まで含めて具体的に採集されている点です。
3回という条件が残ることで、漠然とした怪談ではなく、手順を伴う民間の実践として伝わっていたことが分かります。

姫路の話が面白いのは、恐怖の中心にあるはずの生首が、最終的には財貨へと転じるところです。
厠という境界的な場所で、年越しの夜に、決まった回数を唱える。
こうした細部は、怪異を単なる脅しではなく、運や富を呼び込む儀礼に近いものとして理解していたことを示します。
地域の俗信は、怖さだけでなく、欲望の形まで映すのです。

『甲子夜話』に記された丑三つ時の話

江戸後期の随筆である松浦静山『甲子夜話』(全278巻)にも、よく似た筋立ての話があります。
丑三つ時に厠で入道を呼ぶと首が現れ、それが小判に変わるというもので、姫路の伝承と同じく、怪異が金銭へ転化する構図を持っています。
ここで重要なのは、単独の怪談として終わらず、文献の側にも同型の話が記録されていることです。

地方伝承と随筆に同じ「首が小判になる」モチーフが見えると、口承が地域内だけで閉じていなかった可能性が浮かびます。
現地で拾った話と文献の記述がぴたりと重なる瞬間があると、伝承は土地から紙へ、紙から再び土地へと戻りながら形を変えていったのだと実感できます。
こうした往還を追うと、加牟波理入道の像は固定された一枚絵ではなく、時代ごとに増減する言い回しの集積として立ち上がってくるでしょう。

地域ごとに異なる呼び名と効能

和歌山県では『雪隠坊(せっちんぼう)』と呼ばれ、鳥のような声を出すとされるなど、地域ごとに呼び名も性格も少しずつ異なります。
厠に出る点は共通していても、ある土地では富をもたらし、別の土地では声で脅かし、また別の土地では避けるべき怪異として扱われる。
ここに、加牟波理入道が単一の固定像ではなく、土地ごとの経験や語りの集まりとして広がったことが表れています。

郷土資料を横断して眺めると、同じ妖怪が「避けるもの」「富をもたらすもの」「声で脅かすもの」と役割を変えているのが分かります。
分類のしやすさよりも、むしろ揺れ方にこそ価値があるのです。
地域差を丁寧に並べることで、怖さの型だけでなく、富を呼ぶ型、音で印象づける型まで含めた加牟波理入道の広がりを、はっきり捉えられます。

現代の『トイレの神様』と加牟波理入道

加牟波理入道は、現代の「トイレの神様」信仰と切り離して考えるより、厠神信仰の流れの中に置くほうが輪郭が見えます。
厠は古来、『産・死・穢れ』に関わる境界の場であり、そこには守りも祟りも同時に想定されてきました。
加牟波理入道の二面性は、まさにその境界性から生まれたものだと読めます。

厠神信仰の系譜の中で

便所の守護神とする俗信は、現代に広く知られる「トイレの神様」信仰と系譜上つながっています。
江戸の厠神信仰まで遡ると、同じ場所が時代を越えて清浄と保護の対象になっていたことがわかり、妖怪が単なる恐怖の記号ではなく、暮らしの秩序を支える信仰文化の一部でもあったと見えてきます。
加牟波理入道は、その連続線上で理解してこそ面白い存在です。

この見方を取ると、現代の読者が抱きやすい「トイレに出る怖い妖怪」という印象は少し揺らぎます。
厠に神を迎え、場を穢さず保つという発想は、加牟波理入道を追い払う対象というより、厠そのものを守るための観念として働いていたはずです。
編集の視点でたどれば、私たちは今も同じ空間に別の名前を与えながら、似た祈りを続けているのだと気づけるでしょう。

妖怪と守り神のあいだ

妖怪と神の境界は、もともと驚くほど曖昧です。
加牟波理入道も、怖い怪異としてだけでなく、年の変わり目に厠を清浄に保つための信仰装置として読むと、位置づけがはっきりします。
守るからありがたい、外れると祟る。
この揺れがあるからこそ、人びとは厠に注意を向け続けたのでしょう。

ここで重要なのは、加牟波理入道を「悪いもの」として固定しないことです。
境界の場では、神聖さと危険はしばしば表裏になります。
産と死、穢れと清浄が交わる場所だからこそ、そこに置かれた存在もまた、保護と脅しの両方を引き受けるのです。
読者はこの二重性を押さえておくと、現代の創作で単純化された姿との違いを見抜きやすくなります。
おすすめです。

観点厠神信仰加牟波理入道
位置づけ場を守る信仰守護と祟りを併せ持つ存在
役割厠を清浄に保つ境界の秩序を乱さぬよう働く
印象生活に根差した祈り妖怪と神の中間に立つ

現代の図鑑・創作での加牟波理入道

現代では、加牟波理入道は妖怪図鑑や創作の中で「トイレに出る妖怪」として描かれ続けています。
ただ、そのイメージだけで受け取ると、本来あった年越しの俗信や中国伝来の背景が見えにくくなります。
原型を知ると、単なる怪談素材ではなく、時代ごとに意味を更新されてきた存在だとわかるはずです。

創作で再解釈された姿と、原典に近い厠の俗信を見比べる作業は、妖怪が固定されたキャラクターではないことを教えてくれます。
古典と現代創作を往復してみてください。
そこでは、怖さの演出よりも、場を整えたいという人間の感覚が何度も形を変えて現れていると気づくでしょう。
原型に立ち返る面白さは、加牟波理入道のような妖怪でこそよく立ち上がります。

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遠野 嘉人

民俗学を専攻し、日本各地の妖怪伝承をフィールドワークと古典文献の両面から研究。『今昔物語集』『画図百鬼夜行』等の原典にあたった解説を信条とします。

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