妖怪文化・民俗学

もののけ姫の物の怪と日本の自然信仰

更新: 遠野 嘉人
妖怪文化・民俗学

もののけ姫の物の怪と日本の自然信仰

タタリ神・シシ神・こだま・山犬・猪神は実在の自然信仰がモデル。祟りと御霊信仰、山の神、たたら製鉄の金屋子神まで、民俗学で読み解く8つの神格。

『もののけ姫』に登場する物の怪は創作でありながら、日本に実在する自然信仰や神格の層を濃く映しています。
本記事では、その物語やキャラの再現には寄らず、あくまで日本の自然信仰を読む入口として、八百万の神に通じる感覚からタタリ神、シシ神、こだま、山犬、猪神へとつながる背景をたどります。
祟りを神の顕現として捉える折口信夫の説や、御霊信仰として鎮め祀る発想も、留保を付けながら客観的に扱います。
妖怪伝承の現地調査で神社を巡ると、山の神やお犬さま、神鹿を祀る社が今も生活圏に残っており、フィクションと実在信仰の距離が想像以上に近いことが見えてきます。

もののけ姫の物の怪は「実在の自然信仰」を映す鏡

『もののけ姫』の物の怪は、創作のキャラクターとして消費するよりも、日本に実在する自然信仰の層を読み取る入口として見るほうが実りがあります。
山や森、獣に神性を見いだす感覚は、物語の外側で長く生き続けてきた民俗の感覚だからです。
各地でフィールドワークを重ねるなかでも、山あいの集落に山の神の祠やお犬さまの神札が今も残る光景に幾度も出会い、信仰が生活と地続きであることを実感してきました。
作品にひかれて妖怪へ関心を持った読者ほど、「どこまでが実在の伝承なのか」と気にするものです。
その混同をほどきながら読み進めるのが、この節の役割になります。

本記事の立場:物語ではなく自然信仰を読む

本記事が扱うのは、『もののけ姫』の筋立てや人物相関ではありません。
作品はあくまで入口であり、そこから見えてくる実在の日本の自然信仰、つまり山や獣、木や火にまで神格を見いだしてきた民俗のあり方を読むことに主眼を置きます。
フィクションの精密な再現を探すより、どの神格がどの自然領域と結びついてきたのかを押さえるほうが、読者にとっては理解の回路が開けやすいでしょう。

八百万の神とアニミズムという基層

日本の信仰の基層には、自然物・無生物に霊魂が宿るとするアニミズム的感覚があります。
山・海・木・獣はもちろん、台所やトイレにまで神を見いだす感覚が古くから根付いてきた、という見方がここでの出発点です。
八百万(やおよろず)は文字どおり八百万の数ではなく、「無数」を意味する総称にすぎません。
つまり、ひとつの絶対神を立てるというより、場所や事物ごとに神が宿ると考える枠組みであり、この土壌が多様な神格を生み出してきたのです。

この記事で扱う神格・信仰の見取り図

本記事では、物の怪の背後にある信仰を、自然のどの領域に対応するかで整理します。
祟り(御霊信仰)は、神が荒ぶって現れる局面を示し、鎮め祀ることで守護へ転じる二面性を持ちます。
山の神と鹿は山と稲作の季節感をつなぎ、木霊は古木に宿る精霊として樹木崇拝を支えます。
大口真神(オオカミ)は山中の害獣除けや火防の守り神として機能し、猪神とたたらの金屋子神は、山の獣と製鉄の現場が信仰の結節点になった例です。
さらにダイダラボッチは、富士山・琵琶湖・筑波山のような雄大な地形を巨人の所業に帰す伝承として、土地そのものの成り立ちを神話化してきました。

ℹ️ Note

伝承や学説は、つねに「〜とされる」「〜という説がある」という形で扱います。超自然の実在を断定するのではなく、どう語られ、どう受け継がれてきたかを客観的に見る立場です。

この見取り図があると、『もののけ姫』の物の怪も、単なる怪異ではなく、自然と人の生業が接する場所に立ち現れた信仰の記憶として読みやすくなります。
次節からは、それぞれの神格を順にたどっていきましょう。

タタリ神の正体:祟りと御霊信仰

項目内容
名称タタリ神の正体:祟りと御霊信仰
中核概念「祟り」は本来、災いを下すだけの悪意ではなく、神の顕現を含む語として理解されてきた
語源説折口信夫は「タタリ」を「立ち有り(タツ+アリ)」の転訛とする説を唱えた
関連信仰御霊信仰、御霊会、祇園御霊会
最古の記録貞観5年(863年)平安京の神泉苑で開かれた御霊会
代表例京都の祇園祭

現代語の「祟り」は災いをもたらす悪い力という印象が強いですが、古い感覚では、神がこの世に立ち現れることそのものを指したと考えられています。
折口信夫が「タタリ」を「立ち有り(タツ+アリ)」の転訛とみなした説は、その見方を端的に示します。
流行り病や飢饉、天災を前に、人びとがまず恐れ、そのうえで鎮めて祀り上げたところに、神社祭祀の原初的な姿がありました。

「祟り」とは本来何を指したか

「祟り」は、単に災厄を与える現象ではなく、神威が顕れる局面を含む概念でした。
古代の感覚では、病や飢え、地震や暴風のような出来事は、自然現象として切り分けられる前に、まず神の気配として受け止められたのです。
だからこそ、災厄は排除の対象であると同時に、畏れをもって向き合うべき存在でもありました。

折口信夫は「タタリ」を「立ち有り(タツ+アリ)」の転訛とする説を唱え、これが定説とされていることが、祟り理解の基礎になります。
単なる悪霊観ではなく、立ち現れた神の力が人の側にとって制御しきれないとき、祟りとして認識されたという整理です。
現代語の軽い悪口めいた語感とはずいぶん違い、ここを押さえると御霊信仰へのつながりが見えやすくなるでしょう。

荒御霊と御霊信仰:畏れと守護の二面性

祟り神は荒御霊(あらみたま)であり、荒々しく現れて人を脅かす一方、手厚く祀れば強力な守護神に転じるという二面性を持ちます。
ここが御霊信仰の核心です。
災いを招くか、守りに変わるかは、神そのものの善悪というより、どう迎え、どう鎮めるかにかかっていると考えられてきました。

この発想は、御霊信仰の社を訪ねると実感しやすいものです。
由緒書きや宮司の話をたどると、かつて畏れられた存在が、いまでは地域の守り神として親しまれている例が少なくありません。
祟る神を単に退けるのではなく、祭りのかたちに整えて共存の相手へ変える。
そこに、人びとの切実な知恵が見えてきます。
おすすめです。

鎮魂の祭祀:御霊会と祇園祭

御霊信仰に基づく御霊会は、記録上は貞観5年(863年)に平安京の神泉苑で開かれたものが最古とされ、上御霊神社の史料がそのことを伝えます。
怨霊や災厄をもたらす存在を慰撫し、鎮魂するための祭祀として制度化されていった流れは、恐れを社会的な儀礼へ変換する仕組みでもありました。
個人の不安を、そのまま暴発させないための共同体の装置だったとも言えます。

京都の祇園祭(祇園御霊会)は、その代表例です。
華やかな山鉾や賑わいの背後には、疫神・祟り神を慰撫し、疫病鎮めを願う切実な祈りがありました。
祇園祭の起源を史料で辿ると、見物のための祭礼ではなく、まず災厄に向き合う鎮魂の行事だったことが浮かび上がります。
畏れの対象を祀り上げて守護へ転じさせる構造は、現在の祭礼にも息づいているのです。

シシ神に重なる「山の神」と鹿の神格化

奈良・春日大社の神鹿や、諏訪の御柱に連なる土地の語りを追うと、鹿と山は単なる動物や地形ではなく、境界をまたいで力を運ぶ存在として扱われてきたことが見えてきます。
森を育て、命を与えも奪いもする山の神という観念は、そのまま鹿の神聖視と重なりました。
弥生時代に始まったとされる鹿の神格化も、農耕社会が自然の周期を読み取ろうとした営みの一部だったのでしょう。

鹿はなぜ神聖視されたか:角・稲作・死と再生

鹿を神聖視する習俗は弥生時代に始まったとされ、角の生え替わりが稲作サイクルと同期して見えたことが、その背景にあります。
鹿の角は一年かけて成長し、春に生え替わる。
そこで人びとは、毎年失われては更新される角に、冬を越えて芽吹く田の景色を重ね、死と再生を象徴する動物として鹿を見てきました。
角が樹木に似ることも、山や森の生命力と結びつける手がかりになったはずです。
現地で鹿を祀る社を歩くと、この発想が机上の理屈ではなく、季節の移ろいを身体で受け止めた感覚だったことがわかります。

神使としての鹿:春日・鹿島・諏訪

春日大社・鹿島神宮・厳島神社・諏訪大社などで、鹿を神の使い、すなわち神使とする考えが定着しているのは偶然ではありません。
古事記には鹿の神アメノカクが頼りになる神として登場し、鹿が単なる獣ではなく、神意を伝える媒介として理解されていたことを示します。
奈良・春日大社の神鹿を取材すると、土地の人は「鹿がいるから神社が成り立つ」のではなく、「神域だから鹿が守られてきた」と語りました。
諏訪の御柱に関わる伝承をたどったときも、山と社をつなぐ感覚が今なお生きており、鹿を神使とみなす発想が地域の記憶に根づいていると実感しました。

森と生死を司る『山の神』という観念

山の神は、森を育てるだけでなく、命を与えも奪いもする存在として観念されてきました。
狩猟・林業・農耕のいずれに携わる人々も、山に入れば恵みを得る半面、遭難や病、作業の失敗にさらされる。
だからこそ、山に立ち入る者は畏れと感謝の両方を向け、祭日には山へ入ってはならないという禁忌を守ってきました。
山あいの集落でその禁忌が今も続く場面に立ち会うと、山の神は信仰対象であると同時に、生活の手順そのものを整える社会的な規範だとわかります。
鹿の神聖視と山の神信仰が重なるのは、自然を支配するのでなく、自然の機嫌を読みながら共に生きるという感覚が、同じ根から伸びているからです。

こだま(木霊):樹木崇拝と古木への畏れ

項目内容
名称こだま(木霊):樹木崇拝と古木への畏れ
位置づけ樹木に宿る精霊、または宿った木そのものを指す民俗概念
典型的な宿り木百年以上の年輪を重ねた古木
関連する現象山彦(やまびこ)
関連する禁忌伐採・焼却への忌避、供物による慰撫

木霊は、樹木に宿る精霊として語られると同時に、そこに宿った樹木そのものも木霊と呼ばれる。
百年以上の年輪を重ねた古木に宿るとされ、樹木崇拝の一形態として理解すると輪郭がはっきりする。
古木に対する畏れは、単なる迷信ではなく、森を急いで切り開かないための共同体の感覚でもあったのです。

古木に宿る精霊という観念

木霊が宿る木は、若木ではなく、長い時間を生きた古木として語られる。
そこに百年以上の年輪が重なっていることが、目に見えない存在の滞在を感じさせるからです。
鎮守の森や御神木を訪ねると、注連縄を張られた一本の古木が、今も伐採を避けられ、土地の中心として祀られている姿に出会うことがあります。
木霊信仰の名残は、こうした光景に最もよく現れるでしょう。

この観念は、木を資源としてだけ見ない視線を支えてきました。
長く立ち続けた木には、風雪や季節の循環を受け止めた痕跡が刻まれます。
その存在感に霊性を読み取る感覚が、木霊という名を与えたと考えるとわかりやすいです。
古木は単なる樹木ではなく、土地の記憶を留める器になる。
だからこそ、木霊が宿る木は共同体の側で守られてきました。

伐採の禁忌と供物:畏れの作法

木霊が宿る木を切ったり焼いたりすれば、不幸が降りかかると信じられました。
逆に、供物を捧げれば恩恵を与えるとも考えられ、木に対する接し方そのものが一つの作法として整えられていきます。
ここでのポイントは、畏れが破壊を止めるだけでなく、関係を結び直す手順を生んでいることです。
切れば災い、祀れば恵みという対句は、自然を人の力だけでは支配しきれないという認識をよく表しています。

古木の伐採をためらう禁忌は、各地の神木や鎮守の森にも通じます。
神域に入る前に身を整え、木に触れることを慎む態度は、山の神や御霊信仰とも響き合うものです。
実際に神社の森を歩くと、伐るためではなく祀るために木が残されていることが見えてきます。
おすすめです。
木霊への畏れは、森を保全する知恵でもあったのでしょう。

山彦現象と木霊:自然音への解釈

木霊は山中を敏捷に駆け回り、神通力に似た力を持つとされます。
そのイメージは、山や谷で音が遅れて反射する山彦(やまびこ)現象の説明に結びつきました。
人が声を上げたあと、少し遅れて返ってくる響きは、ただの反響ではなく、山の奥で何かが応えているように聞こえる。
そこに木霊のしわざを見たのは、ごく自然な発想だったのです。

面白いのは、この解釈が現象名や地名にも残っている点です。
山彦という語は、現象そのものに人格めいた動きを与え、山中の音を生きたものとして感じさせます。
土地の古老が、山で山彦を聞いたときに「木霊の声だ」と語り継いできた話を聞くと、自然音を霊的な語りへ変える回路が今も生きているとわかります。
説明しきれない響きを神霊に結びつける民俗の想像力、その一例が木霊なのです。

山犬・モロに重なる大口真神

項目内容
呼称大口真神、お犬さま、御神犬、山犬さま
中心となる社三峯神社
制度化の鍵御眷属拝借と山犬の神札配布
広まり江戸時代に関東一円へ拡大し、三峯講が組織された
守護の性格火防、盗賊除け、害獣除け
伝承の核日本武尊の東征帰路における山犬の道案内

山犬やオオカミは、単なる山の獣ではなく、神の使いである御眷属として扱われ、大口真神、お犬さま、御神犬、山犬さまなどの名で各地に祀られてきました。
とくに三峯神社の信仰は、こうした呼称の重なりを一つの制度へまとめた点に特色があります。
そこでは神話的な由来と生活の切実な願いが重なり、信仰が社の外へも広がっていきました。

御眷属・大口真神とは何か

オオカミ(山犬)は神の使い、つまり御眷属とされ、『大口真神』と崇められました。
ここで面白いのは、山の獣を恐れるだけでなく、守護の主体として扱っている点です。
呼び名が一つではなく、お犬さま・御神犬・山犬さまと揺れるのも、各地で同じ信仰が土地の言葉に合わせて息づいてきたからでしょう。

この重なりは、自然信仰が固定した教義ではなく、実際の暮らしのなかで調整されるものだと示します。
山で出会う獣が、害をもたらす存在であると同時に、境界を守る存在にもなる。
そうした二重性を受け止めるところに、大口真神の信仰は根を張りました。

三峯神社と御眷属拝借の信仰

三峯神社では享保5年(1720年)、日光法印が境内に狼が満ちたことに神託を感じ、『御眷属拝借』と称して山犬の神札配布を始めたと伝わります。
信仰がここで重要なのは、ただの伝承にとどまらず、神札を受け取り持ち帰る仕組みとして組織されたことです。
目に見えない加護を、紙の札という具体的なかたちに落とし込んだわけです。

三峯神社や武蔵御嶽神社を歩くと、今もお犬さまの神札を求める参拝者が絶えません。
絶滅した獣への信仰が、社殿の中でだけでなく、授与の場を通じて現在まで続いているのを確かめると、御眷属拝借は過去の珍事ではなく、いまも生きる制度だとわかります。
おすすめです。

なぜ守られたか:火防・盗賊除け・害獣除け

江戸時代、オオカミ信仰は火防・盗賊除けの守り神として関東一円に広まり、三峯講が組織されて全国に名を知られました。
火事や盗難は、家を一夜で失わせる切実な脅威です。
だからこそ、山の獣に家の安全を託す発想が広く受け入れられたのでしょう。
信仰は観念の飾りではなく、生活防衛の技術でもありました。

さらに農耕社会では、田畑を荒らす猪や鹿を捕食するオオカミが、害獣除けの守り神として畏敬されました。
捕食者を神とする発想は奇抜に見えて、実はきわめて実利的です。
人が自然を一方的に支配できない以上、田を守る助け手として獣の力を借りるほかなかった。
秩父の集落で玄関にお犬さまの神札を貼り、火防や盗難除けを願う家々を回ったとき、その信仰が暮らしの手触りとして残っているのを実感しました。

日本武尊が東征の帰路に山犬の道案内を受けたという三峯神社の伝承も、この信仰を支える大きな柱です。
神話的権威があるからこそ、山犬は単なる益獣ではなく、道を示す神威として受け入れられたのでしょう。
ニホンオオカミ絶滅後も信仰が残るのは、獣そのものより、守り導く力が地域の記憶に組み込まれたからだと考えられます。

猪神とたたら製鉄:荒ぶる山の神と鉄の神

猪は古代から山の荒ぶる力を背負う存在として受け取られ、古事記の伊吹山伝承では白猪が山の神の化身として現れます。
ヤマトタケルがその神罰を受けて命を落とす場面は、獣をただの動物としてではなく、山そのものの意思が形を取ったものとして見ていたことをよく示しています。
とはいえ猪は恐れられるだけの獣ではなく、旺盛な繁殖力を通じて豊穣の象徴にもなりました。
山を荒らす力と、実りをもたらす力。
その両義性が、猪神とたたら製鉄の信仰をつないでいきます。

荒ぶる山の神としての猪:伊吹山伝承

古事記では、伊吹山の白猪が山の神の化身として描かれ、ヤマトタケルが神罰を受ける場面に登場します。
ここで猪は、単に危険な野獣として置かれているのではありません。
山の内部に宿る霊威が、白い猪という目に見える姿を取って現れたものとして読まれているのです。
白という色が加わることで、ただの害獣ではなく、神意を帯びた存在だと強く印象づけられます。

中国地方のたたら製鉄の遺構や金屋子神社を訪ねると、山をめぐる信仰が、鉄を生む場の感覚と地続きであることが見えてきます。
山は恵みの場であると同時に、荒ぶる力が立ち現れる場所でもある。
猪神の伝承は、その山の手触りを神話化したものだと考えるとわかりやすいでしょう。
山に入ること自体が、すでに神域へ踏み込む行為だったのです。

豊穣の象徴:多産と亥の子信仰

猪は荒ぶる存在である一方、繁殖力の強さから豊穣の象徴ともされました。
子を多く産むことが子孫繁栄に、群れの勢いが五穀豊穣に結びつけられ、亥の子神(いのこがみ)として祀る農耕儀礼が各地に残ります。
害獣としての猪を、あえて豊作を願う対象へ転じるのは、恐れを単純に排除せず、実りへつなぎ直す民俗の知恵です。

猪を山の神の使いとして祀る地域や亥の子の行事を取材すると、土地の人は猪を「困る獣」と「ありがたい獣」の両方として語っていました。
田畑を荒らす厄介者でありながら、生命力の象徴でもある。
この両義性が、亥の子という行事の芯にあります。
大地の実りは、荒い力を抑え込むのではなく、その力を祈りに変えることで守られてきたのでしょう。
おすすめです。

観点猪神・亥の子信仰金屋子神信仰
結びつく生業農耕たたら製鉄
中心となる場所山際の田畑たたら場
祀る理由豊穣祈願・子孫繁栄鉄生産の守護
神格の性格荒ぶるが実りを呼ぶ異形で穢れに厳しい

鉄を司る神:金屋子神とたたら製鉄

たたら製鉄の現場では、金屋子神(かなやごがみ)が製鉄の守護神として必ず祀られました。
砂鉄から鉄を生む作業は、火と土と水を長時間にわたって扱う、きわめて不安定な仕事です。
だからこそ職人たちは、技術だけでは支えきれない領域を神に託し、島根県安来市の金屋子神社を信仰の総本山としてきたのです。
現地で遺構をたどると、炉の跡だけでなく、祈りの痕跡が生産の記憶に重なって残っていました。

金屋子神は、産・血の穢れを極端に忌む一方で、死の穢れは忌まず好むとされる異形の神格として伝わります。
鉄がうまく取れないときに遺体を祀ったという伝承もありますが、ここはあくまで伝承として受け止めるべきでしょう。
それでも、この話が示すのは明快です。
鉄を生む現場は、清浄さと汚れの境目がゆがむ場所であり、通常の秩序では収まらない力を扱っていたということです。
山を荒らす猪の神と、鉄を生む山の神。
どちらも、人の営みが自然の力を借りなければ成り立たない土地で生まれた神格なのです。
おすすめです。

デイダラボッチ:自然地形を生んだ巨人神

ダイダラボッチは、日本各地に残る巨人伝承を束ねる名であり、山や湖沼を生んだと語られることが多い神格です。
呼び名はダイダラボッチ、デイラボッチャ、大太法師などさまざまで、土地ごとの言い回しの違いが、そのまま伝承の広がりを示しています。
『もののけ姫』で連想される巨人像も、こうした民俗の層に重なって読めるでしょう。

国づくりの巨人信仰という起源

ダイダラボッチ伝承の底には、国づくりの神に対する巨人信仰があると考えられています。
雄大な山や広い湖を目の前にしたとき、人びとはそれを地形学の言葉で説明するのではなく、巨大な身体の所業として物語化してきたのです。
説明のつかない自然を、畏れと親しみの両方を込めて語り直す。
その働きが、ダイダラボッチを各地の土地神へと押し広げました。

この伝承が面白いのは、巨人がただ荒々しい存在として語られるだけでなく、地形そのものの由来を背負っている点です。
国を作る神が巨人の姿を借りたという見方は、神話と民俗の境目をやわらかくします。
自然を支配するのではなく、自然の成立を人の想像力で受け止める発想。
そこに、古い信仰の手触りがあります。

柳田國男の収集と各地の足跡伝承

柳田國男は『ダイダラ坊の足跡』(1927年)で、各地に伝わる巨人伝説を収集・考察しました。
そこでは、富士山を造るために土を掘った跡が琵琶湖になった、背負った土が落ちて筑波山になった、といった地形起源伝承が紹介されます。
富士山・琵琶湖・筑波山という具体名が並ぶことで、巨人の行為が遠い昔の空想ではなく、今見ている景色の由来として結び直されるわけです。

各地に残るダイダラボッチの足跡とされる池や窪地を訪ねると、地形と伝承が切れ目なくつながっていることがよくわかります。
実際にその場に立つと、ただの水たまりやくぼみではなく、「ここに巨人が降りた」と語りたくなるだけの余白が地面に残っているのです。
柳田國男の収集記録をたどりながら、同型の巨人伝承が遠く離れた土地で共通して語られる不思議を実感しました。
おすすめです。

地形を説明する民俗の想像力

ダイダラボッチが土地を踏み抜いて霞ヶ浦ができた、という伝承も各地に残ります。
足跡や踏み跡を湖沼の起源とみなす発想は、山を削った跡、土を運んだ跡、踏みつぶされた跡を、すべて巨人の身体に結びつけるものです。
地形の輪郭を見たとき、古い人びとはそれを地質や水流の結果としてではなく、目に見えない力の痕跡として読んだのでしょう。
ここに、民俗が自然をどう理解してきたかが鮮明に現れます。

巨人伝承は、雄大な地形の前で人が抱く「なぜここにこれほどの景色があるのか」という問いに、物語で答える営みです。
だからこそ、山や湖の規模が大きいほど、ダイダラボッチの体も大きくなる。
自然信仰の想像力は、畏れを説明へ変え、説明を土地の記憶へ変えていきました。
巨人が地形を生んだと語ることは、自然の圧倒的な存在感を人の言葉に引き寄せる試みでもあるのです。
おすすめです。

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遠野 嘉人

民俗学を専攻し、日本各地の妖怪伝承をフィールドワークと古典文献の両面から研究。『今昔物語集』『画図百鬼夜行』等の原典にあたった解説を信条とします。

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