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木の葉天狗とは|伝承と正体を解説

更新: 遠野 嘉人
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木の葉天狗とは|伝承と正体を解説

木の葉天狗(このはてんぐ)とは、江戸時代の随筆や怪談に名が見られる天狗の一種で、別名を境鳥(さかいどり)という。鼻が高い山伏姿の一般的な天狗像とは異なり、全身が大きな鳥のように描かれるのが最大の特徴です。

木の葉天狗(このはてんぐ)とは、江戸時代の随筆や怪談に名が見られる天狗の一種で、別名を境鳥(さかいどり)という。
鼻が高い山伏姿の一般的な天狗像とは異なり、全身が大きな鳥のように描かれるのが最大の特徴です。
木の葉天狗の姿は、トビに似た翼で翼長は6尺、くちばしと前向きの両眼を備えた顔、5本指の手足、肩から生える翼と尾羽まで、かなり細かく語られてきました。
鼻高天狗や烏天狗との違いを見比べると、この妖怪が近世の山伏姿へまとまる前の、古い鳥形天狗の面影を残していることがわかります。
面白いのは、文献ごとに木の葉天狗の像が大きく揺れる点です。
『諸国里人談』では駿河の大井川で夜に群れて魚を捕る存在として現れ、『甲子夜話』では白狼とも呼ばれ、老いた狼が天狗になった下位の存在として語られます。
つまり木の葉天狗は、正体が一つに定まらないこと自体が本質の妖怪です。
猛禽由来説や白狼説、神通力を持つ説と無害な存在とする説を並べて読むことで、原典ごとの違いを丁寧に味わってみてください。

木の葉天狗とは:鳥の姿をした天狗

木の葉天狗(このはてんぐ)は、江戸時代の随筆や怪談に名が見られる天狗の一種で、別名を境鳥(さかいどり)という。
まずこの読みと別名を押さえると、鼻高の山伏姿とは別系統の存在だとすぐに見分けられる。
原典を重視して書くときは、「普通の天狗との違い」を先に一文で言い切るほうが、検索してたどり着いた読者には伝わりやすい。
知名度が高くないぶん、結局どんな姿なのかを最短で知りたい、という読み手を想定して整理していくのが自然だろう。

読み方と別名「境鳥」

木の葉天狗は「このはてんぐ」と読み、別名は境鳥(さかいどり)です。
名称だけを見ると普通の山の精霊のようにも思えますが、実際には江戸時代の随筆や怪談のなかで、鳥に近い姿をした天狗として扱われてきました。
検索語としても読み方と別名が分かるだけで、読者は対象をかなり絞り込めます。
まずそこをはっきりさせるのが近道です。

境鳥という呼び名には、境目にいるもの、あるいは人間と鳥のあわいにあるものという感触がにじみます。
天狗という言葉だけでは山伏姿の大天狗を思い浮かべがちですが、木の葉天狗はその定型から少し外れた存在です。
名前の段階で「普通ではない」と分かるところに、この妖怪の面白さがあります。

鼻高天狗とは異なる『鳥形の天狗』という位置づけ

木の葉天狗の最大の特徴は、赤ら顔で鼻が高く山伏の装束をまとった天狗ではなく、全身が大きな鳥のような姿で描かれる点にあります。
翼長は6尺(約1.8メートル)でトビに似た翼を持ち、くちばしと前向きの両眼、5本指の手足、肩から生える翼と尾羽を備えるとされます。
こうした記述を並べると、木の葉天狗が人型に近づいた鼻高天狗とも、人体に鳥頭をのせた烏天狗とも違い、より鳥に寄った存在だと分かります。

天狗の図像史をたどると、もともと鳥形、つまり鳶や猛禽に近い姿で描かれていた天狗が、近世になるにつれて鼻高の山伏姿へと一般化していきました。
木の葉天狗は、その古い鳥形のイメージを色濃く残す存在として読むと理解しやすいでしょう。
大天狗、烏天狗、木の葉天狗という並びを見比べると、天狗がひとつの固定した姿ではなく、時代ごとに輪郭を変えてきたことが見えてきます。

類型体の基本像代表的な見た目位置づけ
大天狗(鼻高天狗)人型に近い高い鼻、山伏姿最上位
烏天狗人体+鳥頭鳥の頭を持つ中位
木の葉天狗鳥に強く寄るトビに似た翼、尾羽、くちばし下位、古い鳥形の名残

なぜ江戸時代の随筆に多く登場するのか

江戸時代の随筆・雑書・怪談集に木の葉天狗の名が散見されるのは、各地の風聞や体験談を書き留める知的流行のなかで、土地ごとの天狗譚が文字化されたからです。
寛保期の雑書『諸国里人談』には、駿河(静岡県)の大井川で夜更けに大勢で群れて魚を捕る目撃談が記され、人の気配で逃げ去ったとされます。
松浦静山の随筆『甲子夜話』では、下僕・源左衛門が7歳で天狗にさらわれた話のなかに登場し、白狼(はくろう)とも呼ばれています。

このように出典ごとに像が揺れるのは、木の葉天狗が単なる空想の一致したキャラクターではなく、地域の経験や語りを受け止める器として働いていたからでしょう。
山口県岩国の『岩邑怪談録』では、猟師・宇都宮郡右ェ門の前に小僧に化けて現れ、鉄砲をからかったと伝わり、変化(へんげ)する側面が前面に出ます。
正体にはトビなどの猛禽を元にした自然由来説と、老いた狼が天狗化した白狼説が並立し、能力も神通力を持つとする説と術を持たない人畜無害とする説に分かれます。
だからこそ、木の葉天狗は断定よりも出典別に読み比べるほど輪郭が見えてくる妖怪です。

外見の特徴:トビに似た翼と人に近い顔

木の葉天狗は、鼻高天狗のような山伏姿の天狗ではなく、鳥の要素が前面に出る天狗として描かれます。
外見描写の核は、トビに似た翼と、翼長6尺、つまり約1.8メートルほどという大きさです。
この数値を人の身長と並べて見ると、単なる「鳥のような存在」ではなく、大型の猛禽を思わせる迫力がはっきり立ち上がります。

翼長約1.8メートルの鳥のような体

木の葉天狗の体格でまず目を引くのは、トビに似た翼を備え、翼長が6尺(約1.8メートル)ほどとされる点です。
6尺という表現は古い数え方ですが、実寸に直すとかなり大きく、目の前にいたら翼だけでも成人の上半身を覆うほどのスケールになります。
図像資料を見比べると、この「大きさの感覚」が木の葉天狗の印象を決めており、翼の広がりそのものが怪異の威圧感を支えていることがわかります。
翼を実際の身長と並べて示すと、読者はその存在感を体感しやすくなるでしょう。

人に似た顔と5本指の手足

別の説では、木の葉天狗はくちばしを持ちながら、前を向いた両眼を備えた人に似た顔で描かれます。
ここに5本の指がある手足、肩から生える翼、さらに尾羽が加わるため、鳥だけでも人だけでもない中間的な姿になるのです。
鼻高天狗が人型+高い鼻、烏天狗が人体+鳥頭であるのに対し、木の葉天狗は全身が鳥に寄った姿として扱われやすく、古い鳥形天狗の名残としても読めます。
鳥寄りの造形でありながら、顔や手足に人間性が残るため、烏天狗との比較では「どこまで人に近いか」が見分けの軸になります。

類型体の基本像顔の特徴図像上の重点
鼻高天狗人型高い鼻山伏姿の人間性
烏天狗人体鳥の頭部人と鳥の接合
木の葉天狗全身が鳥寄りくちばし、前向きの目を持つ人に似た顔鳥形の強さ

図像に見る『樹上でくつろぐ』姿

河鍋暁斎の錦絵などでは、樹上でくつろぐ木の葉天狗たちが描かれています。
ここで面白いのは、同じ木の葉天狗でも、鳥寄りに緊張感を強めた姿と、人寄りの表情を残した姿があり、像が一つに定まっていないことです。
獰猛な捕食者というより、山の木々のあいだで暮らす生き物として置かれているため、自然のなかに溶け込む気配が前面に出ます。
こうした図像は、木の葉天狗を単なる恐怖の対象ではなく、鳥と人の境界に立つ存在として捉える手がかりになるのです。

出典文献①『諸国里人談』:大井川の魚捕り

諸国里人談は、寛保期(1740年代)に成立した諸国の風聞や奇談を集めた雑書で、木の葉天狗の名を考えるうえで最もよく引かれる典拠です。
説話を体系的に整理する本というより、土地ごとの語りを寄せ集めた記録に近く、だからこそ細かな場面の断片がそのまま伝わります。
木の葉天狗の姿も、ここでは誇張された怪力譚ではなく、夜の川辺でのふるまいとして描かれます。

『諸国里人談』とはどんな本か

『諸国里人談』は、寛保期(1740年代)に成立した、各地の風聞や奇談を集めた雑書です。
学問書のように対象を整理して定義するのではなく、耳に入った話をそのまま残す性格が強いので、後世の読者は当時の人びとが何を奇妙だと感じたのかを読み取りやすい。
木の葉天狗の記述も、その性格のなかで生きています。

面白いのは、こうした雑書では伝承の輪郭が説明しすぎられない点でしょう。
名前、場所、ふるまいだけが短く置かれるため、かえって場面の温度が立ち上がります。
現代の図鑑的な「生態解説」と違い、原文の断片を丁寧に拾う読み方が向いているのです。

夜の川面で魚を捕る群れの目撃談

同書には、駿河国(現在の静岡県)の大井川で、夜更けに木の葉天狗が大勢で群れをなして魚を捕っていたという目撃談が記されています。
夜、大井川、群れという三つの要素がそろうことで、話は一気に具体性を帯びる。
山の怪異がふわりと現れるのではなく、川面で何かが動き、捕食し、消えていく光景として語られているからです。

大井川という具体的な地名が残っている点も見逃せません。
土地に根ざした伝承は、抽象的な「どこか」ではなく、川の流れや夜の暗さと結びついて伝わります。
郷土史の目で見ると、この記述は単なる妖怪譚ではなく、地域の景観と結びついた観察記録にも見えてきます。

人を警戒して逃げる『境』の性質

この記述で特に重要なのは、人の気配を察すると木の葉天狗が逃げ去ったとされる点です。
ここには、後述する別名『境鳥(さかいどり)』が示す「境(さかい)」の性質がよく表れています。
人の領域と山野のあいだにいて、近づかれると退く。
名が示す性格と、目撃談の行動がきれいに重なっているのです。

つまり木の葉天狗は、凶暴に人へ襲いかかる妖怪としてではなく、夜の川辺で漁をする半ば動物的な存在として描かれています。
怪異でありながら、自然のなかの生き物に近い像です。
だからこそこの一文は、恐怖よりも境界の感覚を伝える記述として読むとおもしろい。

出典文献②『甲子夜話』:白狼と天狗界での地位

『甲子夜話』は、肥前平戸藩主の松浦静山が著した大部の随筆で、当時の見聞や奇談を膨大に収めた書物です。
木の葉天狗の『正体』を考えるうえでは、ここに残る伝承がひときわ重要であり、単なる山の怪異ではなく、神隠しや天狗社会の序列まで見えてきます。
とくに源左衛門の体験談と白狼の話は、木の葉天狗を人間社会の写し絵として読む手がかりになります。

『甲子夜話』が伝える天狗さらいの体験談

『甲子夜話』には、下僕の源左衛門が7歳の頃に天狗にさらわれたという体験談が記されています。
この話のなかで木の葉天狗の名が登場する点が要で、天狗はただ山中に潜む怪異ではなく、子どもを連れ去る神隠しの主として語られていたことがわかります。
怖さの中心にあるのは、姿の見えない超越者ではなく、日常のすぐ隣に割り込んでくる存在としての天狗なのです。

しかも、源左衛門の話は単独の逸話で終わりません。
天狗さらいという枠組みに木の葉天狗を置くことで、当時の人々が天狗を「山の外側」ではなく、生活圏を脅かすものとして捉えていたことが見えてきます。
読者にとって重要なのは、ここで木の葉天狗が恐怖の象徴であると同時に、身近な民間伝承の語り口へ落とし込まれている点でしょう。

別名『白狼』=老いた狼が天狗になった?

木の葉天狗は天狗界では白狼(はくろう)とも呼ばれ、老いた狼が天狗になったものだとされます。
この別称は、木の葉天狗をただの妖怪名としてではなく、動物由来の変化譚として理解する入口になります。
山の獣が歳月を経て天狗に変じるという発想は、自然界の生き物と怪異を地続きに見ていた感覚をよく示しています。

さらに白狼は、山で作った薪を売ったり、登山者の荷物を背負ったりして、他の天狗が物を買うための資金を稼ぐ役回りだと伝えられます。
ここで面白いのは、超人的な力を誇る存在としてではなく、天狗社会の経済を支える実務担当として描かれることです。
老いた狼が担う役目という設定は、山の怪異に人間社会の労働分担を重ねた発想でもあり、木の葉天狗をぐっと身近に感じさせます。

天狗界で最下位とされる『働き者』の天狗

そのため木の葉天狗は、天狗のなかでも地位が低いとされます。
空を駆ける華々しい天狗像とは対照的に、薪を売り、荷物を運び、他の天狗の購買資金を稼ぐ働き手として置かれているわけです。
『天狗にも序列があり、最下位は薪売りや荷物運びで稼ぐ』という設定は、当時の人々が天狗を身近な社会の写し絵として語っていたことをうかがわせます。

この見方を押さえると、木の葉天狗は単なる脇役ではありません。
むしろ、天狗界の最下位にいるからこそ、威厳よりも生活感が前に出る存在です。
空を駆ける超越的な存在というより、天狗社会の『働き手』として描かれる点に、人間くさい魅力があります。
しかも白狼が老いた狼の天狗化だとされる説は、次に続く『鳥か狼か』という正体論へ自然につながっていくでしょう。

出典文献③『岩邑怪談録』ほか:小僧に化ける話

『岩邑怪談録』に記された木の葉天狗は、鳥の群れとして現れる像とも、山仕事にまつわる働き者の像とも少し違い、岩国の怪談の中で小僧に化ける存在として立ち上がります。
猟師・宇都宮郡右ェ門の前に姿を見せ、鉄砲をからかったという話は、木の葉天狗がただ脅かすだけの妖怪ではなく、相手を見定めて振る舞いを変える「変化(へんげ)」の側面を持つことをよく示しています。
地方の怪談集まで読み広げると、有名な大井川の話だけでは見えない、化けることとからかうことが前景化した性格が見えてきます。

猟師をからかった岩国の怪談

山口県岩国に伝わる『岩邑怪談録』では、木の葉天狗が小僧の姿に化けて猟師の前に現れたとされます。
相手は猟師・宇都宮郡右ェ門で、そこでの木の葉天狗は、単に山中で目撃される異形ではなく、猟の場面に割り込んでくる具体的な存在として描かれるのが面白いところです。
鉄砲をからかったという逸話も、この怪異が武器や威勢に正面から挑むというより、軽く受け流しながら人間を翻弄する性格を持っていたことを物語っています。

この種の話が残るのは、怪談が恐怖の記録であると同時に、土地の感覚を写す器でもあるからでしょう。
岩国の怪談集にまで視野を広げると、木の葉天狗が「山の鳥のようなもの」では済まず、猟師と小僧のやり取りの形で語られていたことがわかります。
こうした細部は、後の整理で見落とされがちな地域差を拾い上げるうえで、きわめて手がかりになります。

小僧に化ける『変化』の側面

この小僧姿の逸話で注目したいのは、木の葉天狗が変化(へんげ)する存在として扱われている点です。
鳥のような姿で群れをなす像とは違い、ここでは人の姿を借りて相手の懐に入り込み、鉄砲をからかう。
つまり、木の葉天狗は姿そのものより、姿を変えて関わるふるまいによって印象づけられているのです。
妖怪を固定した輪郭で理解すると見えにくい部分ですが、伝承の中ではむしろこの可変性こそが核になります。

人を脅かすだけの荒ぶる怪異ではなく、いたずら心を持った相手として描かれている点も重要です。
猟師・宇都宮郡右ェ門の前に小僧として現れた、という語り口は、恐怖と滑稽さが同居する日本の怪談らしさをよく示しています。
おすすめなのは、こうした話を一つの逸話として切り離さず、同じ名がどのように別のふるまいを担わされているかまで見ていくことです。
そこから、木の葉天狗という名が単なる呼称以上の働きをしていたことが見えてきます。

地域ごとに揺れる木の葉天狗像

木の葉天狗は、文献ごとに像が大きく揺れます。諸国里人談では魚を捕る群れとして、甲子夜話では薪を売る働き者として、そして『岩邑怪談録』では小僧に化けて猟師をからかう存在として現れる。文献木の葉天狗の姿主なふるまい印象
諸国里人談魚を捕る群れ水辺で群れとして動く集団性が強い
甲子夜話薪を売る働き者人里で働く姿をとる労働者的で親しみやすい
岩邑怪談録小僧に化ける猟師・宇都宮郡右ェ門の鉄砲をからかう変化と悪戯が前面に出る

この振れ幅こそが、木の葉天狗の伝承史でいちばん面白い点です。
同じ名でも土地ごとに役割が変わるのは妖怪伝承では珍しくなく、木の葉天狗はその典型例だといえます。
全国を一つの標準像でまとめるのではなく、各地の「鳥のような天狗」「下位の天狗」をゆるやかに束ねる呼び名として見ると、岩国の小僧譚も、魚を捕る群れの話も、薪を売る話も無理なく並びます。
おすすめです。
地方の怪談集を読み比べると、伝承の輪郭が少しずつずれて見えてくる、その手触りを味わってみてください。

正体をめぐる諸説:鳥か、狼か、無害な存在か

木の葉天狗の正体は、最初から一つに定まるものではありません。
外見の手がかりはほぼトビに似た翼に集約され、そこからトビなど大型の猛禽を元にした自然由来説が立ち上がりますが、鳥だけで説明しきれない伝承も残ります。
だからこそ、正体を断定せずに諸説を並べる姿勢が、この妖怪を読むうえではいちばん誠実です。

トビなど猛禽を元にした自然由来説

鳥起源説の根拠としてまず大きいのは、木の葉天狗の姿に見える「トビに似た翼」です。
翼を広げた形や樹上にとどまる印象は、山野で身近だったトビや大型の猛禽を思わせ、そこに人知を超えた気配を重ねた結果として天狗像が育ったと考えられます。
怖さの中心が牙や角ではなく、空を滑る鳥の輪郭にあるのがこの説の特徴です。
自然の観察から怪異が生まれる、という民俗の基本がよく見える部分でもあります。

白狼説:獣が天狗化したという解釈

ただし、『甲子夜話』が伝える白狼説は、起源を鳥ではなく獣に置きます。
老いた狼が天狗になったとするこの説は、山の怪異を鳥のイメージで整理するのではなく、長く生きた獣が境界を越えた存在として天狗へ変わる、と捉える点に独自性があります。
鳥起源説と狼起源説が並立している以上、現時点でどちらかに決め打ちするのは難しいでしょう。
原典を読み比べる立場でも、無理に一つへ収束させず、「どれも決め手を欠く」と示すほうが、読者にとっても判断材料が増えます。

神通力はあるのか、無害なのか

能力の面でも、木の葉天狗は解釈が割れます。
変化して姿を変える神通力を備えていたとみる説がある一方で、術を持たない人畜無害な存在とみる見方もあり、ここでも像は一つに固定されません。
岩邑怪談録の「小僧に化ける」話は前者を支える材料になり、樹上でくつろぐ図像は後者の静かな印象を補強します。
つまり木の葉天狗は、「鳥か狼か」「有能か無害か」という問いに単純な答えを返さない妖怪です。
複数の像が重なったまま伝わってきたからこそ、その曖昧さ自体が伝承の生きた姿として残っているのです。

天狗の種類のなかの木の葉天狗:大天狗・烏天狗との違い

天狗は、姿と格の二軸で見ると整理しやすい妖怪です。
鼻高天狗(大天狗)は人型に高い鼻を備え、烏天狗は人体に鳥の頭部とくちばしを持ち、木の葉天狗は全身がより鳥に寄った姿として描かれます。
この三者を並べると、木の葉天狗がなぜ下位に置かれやすいのかまで自然に見えてきます。
天狗は修験道や山岳信仰とも深く結びつき、山伏の姿で表されてきましたが、木の葉天狗の鳥形は、その前段階にある古い天狗像の名残とも読めるでしょう。

鼻高天狗・烏天狗・木の葉天狗の姿の違い

三者の違いは、まず身体のつくりに現れます。
鼻高天狗は人の顔に長い鼻をもつため、威厳や異様さが前面に出ます。
烏天狗は人体を保ちながら鳥の頭部とくちばしを備え、より獣性の強い姿です。
木の葉天狗はさらに鳥に寄った輪郭を持ち、山中の気配や飛翔性が強く感じられます。
姿だけでも、妖力の強さや人間からの距離感が段階的に違うと見えてくるはずです。

この見分け方は、単なる造形の違いにとどまりません。
天狗という存在が、山の異界に属する強い霊威から、より民間的で身近な怪異へと幅を広げていく過程を映しているからです。
天狗の種類を「姿」と「格」で分けて眺めると、木の葉天狗がなぜ鳥形のまま残ったのかも理解しやすくなります。
山伏姿へと一般化する前の、古い像がそこに沈殿しているわけです。

天狗の序列と木の葉天狗の位置

格の面では、一般に大天狗が最上位、烏天狗が中位、木の葉天狗が下位とされます。
この序列は、単に強さの差というより、山岳の霊威をどれだけ人間側に近づけて表現しているかにも関わっています。
大天狗は圧倒的な存在感をもち、烏天狗はその配下として動き、木の葉天狗はさらに実務的で雑事を担う存在として語られやすい。
天狗の世界にも、はっきりした上下関係があるのです。

『甲子夜話』が伝える薪売りや荷物運びの役回りは、この最下位という位置づけときれいに符合します。
威勢のよい怪異でありながら、実際には荷運びを手伝うほどの立場にある。
この落差が木の葉天狗の面白さで、強大な天狗の系譜のなかでも、生活の匂いがいちばん濃く残るところが魅力です。
比較すると分かりやすいので、次の表に整理しておきましょう。

種類姿の特徴序列上の位置役回りの印象
鼻高天狗(大天狗)人型で高い鼻最上位威圧的、統率者的
烏天狗人体に鳥の頭部とくちばし中位使役・実働を担う
木の葉天狗全身が鳥に寄った姿下位薪売り、荷物運びなどの雑務

現代に残る木の葉天狗

木の葉天狗は、知名度だけでいえば大天狗や烏天狗よりずっと控えめです。
それでも消えていないのは、妖怪が古典の中だけで生きる存在ではなく、観光や創作の場で形を変えながら受け継がれるからでしょう。
鳥取県境港市の水木しげるロードには木の葉天狗のブロンズ像が設置されており、現地でその姿を確かめられます。
こうした例は、目立たない妖怪でも現代の風景に居場所を持ちうることを示しています。

実地で見ると、木の葉天狗は「有名な天狗の一種」というより、伝承が細部まで残った痕跡のように感じられます。
山伏姿へとまとまる以前の天狗像、序列のなかで下位に置かれた役回り、そして観光地で像として再現される現在。
その連続をたどると、木の葉天狗は過去の遺物ではなく、古層と現代をつなぐ入口だと分かるのではないでしょうか。
見つけたら、ぜひ立ち止まって眺めてみてください。

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遠野 嘉人

民俗学を専攻し、日本各地の妖怪伝承をフィールドワークと古典文献の両面から研究。『今昔物語集』『画図百鬼夜行』等の原典にあたった解説を信条とします。

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